インタビュー 俳優:田中哲司さん

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で荒木村重役を熱演した俳優・田中哲司さん。
安定感のあるお芝居で数多くのテレビドラマや映画、舞台にご出演です。
鈴鹿市のご出身で海星高校OB(32回生)でもある田中さんに、
昔のこと今のこと、たっぷりお話をうかがいました。

 今やレギュラー出演されるテレビドラマが1年を通じて途切れることのない俳優・田中哲司さん。本誌担当者が初めて取材を申し込んだのは1年以上前のこと。今回、突然空いたスケジュールの隙間に飛び込むような形でインタビューが実現しました。
 場所は東京・渋谷の某スタジオ。明るいアイボリーのスーツに紺色の細めのネクタイは軽快な印象。すらりと背の高い立ち姿が印象的でした。
 面会に感激しながら挨拶を済ませると、さっそく持参した卒業アルバムを見ていただきました。

「懐かしいなぁ。川村さんとかはまだみえるんですか? 仁さんは?」

 高校時代の田中さんを担任したのは、1年が伊藤仁先生、2・3年が川村浩晏先生。数多い恩師の中でも、やはり担任の先生に対して感じる恩義はひとしおのようです。お2人とも既に退職されています。
 アルバムのページを繰って写真をご覧になった田中さん。写真を見ると懐かしい記憶が蘇るようで、ずらりと並ぶ同級生たちの顔写真を次々に指さしては、名前をつぶやいておられました。友人たちとの思い出のエピソードがどんどん湧いてきます。言葉もすぐに三重弁に戻っていました。
 校則が厳しくなったり、受験戦争が激化していった1980年代。抑圧された若者たちが社会の権威に逆らって抵抗したり、正義感をぶつけ合って喧嘩をしたり。持て余したエネルギーをたぎらせていた時代でした。比較的穏やかだった海星にもそんな時代の空気は漂っていました。
 全校生徒が結束して授業をボイコットしたという、新聞沙汰にもなった伝説的事件も、田中さんが高校1年に在学していた当時のできごとでした。

「刈り上げをやめさしたボイコットね。学帽もやめさしたんやっけ…。上の学年の人らがやるって言って。エンリケ・リベロ神父さんだったね、校長は。」

 社会や学校がそんな空気でしたから、生徒たちと向き合う諸先生方も、今とは比べものにならないほど厳しい態度で臨んでいらっしゃいました。担任だった体育科の川村先生も、もちろん生徒たちから恐れられる存在でした。田中さんはそんな川村先生に反抗したことがあったとおっしゃいます。

「試験が終わった時やったと思う。自転車で2人乗りしたのがバレて『ボウズにしろ』って言われて口答えしたのよ。そしたら川村さん、教壇からぐわーって来て。俺、後ろのほうの席やったんやけど、ここ(顔の前30センチくらい)まで来て。『殴られる〜。相当痛いやろなぁ』って思ったけど、川村さんは殴らなかった。その代わり、後で職員室呼ばれて、ずーっと正座。で、結局、なんとなくボウズ的なことにはしたけど、正確にはボウズじゃなかったね。ほんと謝りたい、川村さんに。完全に俺が悪いもん。なんにも川村さん悪くないもん。もし川村さんにお目にかかる機会があったら、僕がほんとに謝ってたと、伝えてください。」

 田中さんは身を乗り出して頭を下げ、そうおっしゃいました。

「仁さんにもその系列でちょっと迷惑をかけたりしたね。泥臭い話ばっかで、もう。同じヨット部にいた同級生に迷惑をかけたのよ、俺が。そのまま帰ったら、相手の親から仁さんとこに電話いって、仁さんからうちに電話かかってきた。仁先生にもくれぐれも…。」

 そう言って田中さんはまた頭を下げられました。

「仁さんは物理をほんとに楽しそうに教えてくださって。興味持てるようにってやってくれるんだけど、やっぱ物理はつまんなかった。体が受け付けなかったもんね。ああいう、なんか、法則的なこととか…。高校って勉強が一気に高度になったっていう印象がある。数学、物理、化学っていう数字系がほんとに苦手というか大っ嫌いで。『なんでそんな嫌いなものを』っていう反発心もあって。」

 逆に好きだったのは国語の授業だったそうです。
 

「受験勉強で唯一得意だったのは現国(現代国語)で、好きだなぁって。なんか勉強っぽくないところが好きだった。だって小説を読んで、でしょ。答えも『それ、ほんとにそうか?』っていう感じで。そういうフワッとした感じが好きで、現国が好きだった。位田先生(現・林尚澄先生)の授業は楽しかった。」

 数ある授業の中でも、最も強く印象に残っているのは、やはり体育のトレーニングだとおっしゃいます。

「スクワット千回…。1度もやれたことなかった。七百回ぐらいで。俺、千回できないのは体型の不利もあると思う。絶対あるよね。何か、もう、腰が痛くなってくるから。ごまかし方も一流になってね。先生が背を向けてる時に、声だけ出して腰落とさへん(笑)。」

 スクワットに苦しんだ思い出はほとんどの同窓生に共通するものではないでしょうか。とはいえ、体を動かすことはお好きだったようで、クラブ活動にも参加していらっしゃいました。

「サッカー部に1週間いて、レベルが違うなと思って。で、辞めて、ヨット部に入った。ちょっと幽霊部員に近かったけど。沖まで乗ってって、帆を下ろしてのんびりする。クジラが迷い込んだとかたまにあって、見に行ったりとか。で、レースに出た覚えがない(笑)。あと、南高かどこかの女の人がいて、一緒にやってるのが楽しかった。」

 高校時代は人格形成にとってとても重要な時期。その時期を海星で過ごした田中さんにとって、海星での3年間は今の人柄にどう影響したのでしょうか。

「絶対的に高校ん時が一番影響でかいですよね。大学よりも高校、中学よりも高校だし。おまけに男子校だったわけで。で、キリスト教系の、なんかちょっと押さえつけられた雰囲気で。ずっと曇り空だったイメージがある。スモッグとかの影響もあったんだろうけど、刑務所にいたような気分(笑)。でも、それが逆に良かったんだと思うんですよね。例えば、その頃は『まじめ君』って思われるのがすごい嫌な時期で…。既成の制服着てるのがほんと嫌だった。他の高校は制服とかいろいろいじくったりしても大丈夫だったんだけど、海星ではちょっと太いズボンをはいたらもう『ダメだー』って。だから『自由になりたい』っていう考え、意識が強くなったんで、すごい良かったと思う。たぶん公立の共学の楽しげなところに行ってたら、もうそこで自由だったわけだから。たとえば、バイク、原チャリの免許が取れたりとか。当時は『神戸高校いいなぁ』とか思ってたけどね、『なんで俺、バスん乗ってんだろ』って(笑)。」

 通学にはご実家の近くからバスを利用していらっしゃったそうです。

「バスで鈴鹿から。鈴鹿の山のほうです。椿一宮っていう。そこからバスが出てて、直で学校へ。帰る時も完全に独りぼっちだし。みんな町の方に帰っちゃうから寂しいなぁって思いながら。バスで1本だったから便利だったけど、ただ寂しかったのを覚えてる。」

 そんなふうに校風が厳しく、自宅から近いわけでもなかった海星高校に、どうして入学することになったんでしょうか。

「受かったから(笑)。ほんとは四日市工業の機械科に行きたかったの。兄ちゃんが行ってたってのと、やっぱ機械が好きというか、バイクが大好きで。エンジンとか、キャブレターとか、マフラーとか、ああいうふうな。けど工業科は偏差値がちょっと…。窯業科ではちょっとアレだったし、今だったら絶対窯業科行きたいと思うけど。それで、鈴鹿、海星、そのへんを滑り止めで受けるよね、みんな。で、先に海星に受かったから、じゃあもうそこにしとこうっていう。もう四日市工業も受けないで。」

 当時からの機械好きが高じて、今では「ハコスカ」の愛称で知られるヴィンテージの角ばったスカイラインを2台所有し、自ら運転もしていらっしゃるそうです。

「普段はGTに乗ってるけど、GT−Rも持ってる。2つともハコスカなんだけど。現場に自分で運転してくから、好きな車じゃないとイヤなんだよね。例えば×××とかだったら、もうイヤ。心が躍らない。ただの足になる。ハコスカは気持いい。疎ましい時もあるけど(笑)。」

 機械好きの一面とは対照的に、植物を育てることもお好きなのだとか。

「ちょこちょこっとバルコニーで。ほんとに趣味程度の草花をちょろっと植えてるだけで。普通にバラとか。けど、大々的じゃない。ちょろっと。ダメになったらすぐ植え替えてっていう。」

 一九八四年に海星を卒業すると、そのまますぐに東京へ。音楽系の専門学校に進学されました。

「推薦でギリで行ける大学もあったんだけど、なんかヤだなと思って。で、なんとなくバンドをやりたくて東京に出て来て音楽系の専門学校に行って。でも、なんかちょっとバンド無理だなと思って。甘い考えで出て来てたから…。」

 音楽を目指すといっても、海星在学中に人前に立ったことといえば、文化祭のステージくらい。イギリスのバンド、レインボーなどをコピーするヘヴィメタル・バンドでベースを担当していらっしゃったそうです。現在のお仕事につながるような経験やきっかけは、他には特に無かったとおっしゃいます。

「専門学校行ってる間に『ちっ、大学がよかったなぁ。なんで勉強しなかったんだろう』と思って。で、1年で専門学校を辞めて、それから1年勉強して日芸に受かった。」

 そうして二十歳の時、日本大学芸術学部の演劇学科に入学。いよいよお芝居の道に入られたわけです。

「役者になろうっていうきっかけの記憶が無くて…。なんとなく芸術方面にっていう思いはあった。映画学科の演技コースには行きたかったんだけど、2次で落ちて。文芸学科も受けてたりするんだけど、『俺、モノ書けるのか?』って(笑)。ホントのこと言うと小学校の頃から絵が大好きだったんだけど、なんで美術学科を受けてなかったのか…。たぶん受験日が重なってたとか、そういうことだと思うんだけど。だからいい加減なもんだったんだよ。まだ定まってなかった。」

 「定まってなかった」としても、演劇学科の学生になれば、当然演技に取り組むことになります。でも卒業間際になるまでは、それほど熱心に取り組んでいらっしゃったわけでもないようです。

「気の利いた記事にできそうな、いい感じのことはないんですよね(笑)。」

 それでも、二十代は中小の劇団でお芝居に取り組む毎日をお過ごしだったそうですから、きっと何かのきっかけがあったのでしょう。アルバイトをしながらの生活は楽でなかったはずです。それでもお芝居の仕事を続けられたのは、俳優という職業へのこだわりが大きく膨らんでいったからに違いありません。

「30歳ぐらいからかな、バイトせずになんとなく役者っぽい仕事で食えるようになったのは。」

 今の芸能プロダクションに所属されたのもちょうどその頃でした。

「役者っぽい事務所っていうので。タレント臭のしない事務所、バラエティとかやらない…。そういうのを3つくらい思い浮かべてて、それで1つめがダメで、2つめが今の自分の事務所で、それでたまたま入れてもらって。タイミングですよね、別に売れてたわけじゃないんで、その頃は。」

 凶暴な犯罪者から優しいお父さんまで幅広い役柄に対応し、時にはエキセントリックなキャラクターさえも見事に演じ切る田中さん。演じられる役柄の守備範囲は二十代の頃から広かったそうです。

「まあ、基本的に自分では役を選べないんで、『この役でお願いします』って言われたら『はい』って言うだけ。精一杯それに応えるだけ。」

 お話をうかがった7月上旬は、現在放送中のドラマ「ST赤と白の捜査ファイル」(日本テレビ系)、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の撮影が佳境を迎えていました。お忙しい収録の合間を縫ってインタビューに応じていただいた形です。

「大河見る習慣がなかったんだけど、ちょっと見だしたらハマってきちゃって。自分のシーンとかは恥ずかしくて『うわぁ』ってなっちゃうんだけど。戦国時代ってすごいなぁって思って。」

 信長、秀吉、家康そして黒田官兵衛。名だたる戦国武将が数多く登場する今回の大河ドラマ。その中で、田中さんが演じる荒木村重の知名度はそれほど高いとは言えません。今回のドラマで初めて知ったという方も多いのではないでしょうか。田中さんの人間味溢れる迫真の演技が荒木村重の魅力をより高めたことは間違いないように思います。

「今(7月)はちょうど俺が出てない回を、本能寺の変とかをずっとやってるんだけど、また出てきます。まったく様子が違います。びっくりする変わりようですからね。自分の中では別人としてやってる、それくらい違います。」

 信長に謀反を起こし籠城した荒木村重は、第22話で妻子を残して城を出ました。後に千利休の弟子となり再び歴史の表舞台に現れる荒木は第31話から第33話に再登場するそうです。

「33話で泣くんです。台本に完全に『泣く』って書いてある。ここで泣かなきゃダメだろうっていう。ドッキドキしてるの。緊張するんすよ、やっぱ。『こんなところで嘘泣きはダメだ』って思うから。3話から出てて、ずーっと紡いできて、最後の肝心なとこで嘘泣きではちょっと…って。涙出てないのに『うっ、うぅ』っていうやつ、『ああ、ウソや、ウソや』って全部分かりますから。」

 自分が納得できる演技をしたい。そんな強いこだわりがそこにはありました。

「泣くのはやっぱり難しいですよ、現場がそういう雰囲気になってないから。現場は単なるシーンの1つとして捉えてるから。がっちゃがちゃしてるから、もうこっちが雰囲気を出すんすよ。ちょっとあんまりちゃかちゃかしないでねっていう。」

 荒木村重役の役作りについてはこんな風におっしゃいました。

「ちらっとネットで調べたぐらい。シナリオってやっぱりフィクションだから、あんまり頭でっかちになると、それに対して「え〜っ?」って思っちゃう。ふわっと勉強するぐらいにしてる。」

 与えられる役柄に対して、自分自身で練り上げた最善の答えで臨む。他人に何かを用意してもらうのでなく、自分自身の頭と体で最善の答えを用意する。そういう姿勢で作品に臨んでいらっしゃるのでしょう。

「今は次の舞台のセリフ覚える下準備もしてる。基本的にいつも台詞を覚えてるのがつらいね。怖いですよ、舞台はほんとに。やっぱり頭の中、平気で白くなるんで。それを白くならないようにどんだけ覚えるか、しみこませるかっていう。」

 「次の舞台」は、秋の恒例となりつつある葛河思潮社の公演。盟友でもある長塚圭史氏演出のもと、主演を務める舞台は、第4回を迎える今年も9月、10月に東京、横浜など5会場で26公演が予定されています。今回の演目はノーベル文学賞を受賞したイギリスの劇作家ハロルド・ピンターの代表作「背信」。

「翻訳もんだし、不倫の話だし、堅くないですよ。ただ、すごく面白いのが、その脚本のすごい一番のキモなんですけど、時間が遡っていくんですよ。出会いがラストシーンなんですよ。なんかいいでしょ? これを引いたら、何でもない不倫の三角関係の話。ただ時間が遡っていくっていう。」

 これから取りかかろうとする作品を、苦労も含めて楽しみつつ、良いものに仕上げようという情熱がひしひしと感じられました。
 生身の人間が、生身の人間の前で、現実と異なる時空間を創り出して見せる舞台の公演。公演は期間中に変化していくともいいます。そんな変化を田中さんはどう捉えていらっしゃるのでしょうか。

「いや、別に気になりません。ちょっとした変化だと思うんですよ。稽古してきてやってきたものを本番でやってるわけだから、やっぱり大幅には変わらない。ちょっとした変化は全然いいと思いますよ。あと、ミスしたら変わらざるを得ないですよね。例えば相手役が出トチって出てこないとかになると、つなげながら待つとか。大事なセリフを飛ばしたとしたら、それ言っとかないと芝居が成立しないなっていうのは、後から途中で入れ込もう入れ込もうってして、そこでもう芝居がぐっちゃぐちゃになるっていう。けど、それはいいことだと思うんだよ。揺れてるってことだから。お客さんもそういうの楽しいって思うから。俺が客だったらそういうの分かるから。「おっ? 何かぎくしゃくしてるな」って(笑)。」

 ハプニングも含めてそのライブ感を楽しんでいらっしゃるようです。楽しみな最新の舞台「背信」の東海地方での公演は10月4、5日の豊橋2公演で、チケットは7月26日から発売中。地元である鈴鹿や四日市での舞台公演も近い将来ぜひ実現してもらいたいものですね。
 これからどんな役をやってみたいかについてもうかがってみました。

「やりたいとかそういう欲がもう無くなってきて、基本的に無いんですけど。昔はちょっと悪い役をやりたいとか言ってたけど、もうやってるから。気が狂ったような荒木村重もやってるし。逆になんとなく今いい人をやりたいなって思うけど、いい人をやると、また悪い人やりたいなっていう。だから無いです。」

 「演じる側」以外のこと、「演じさせる側」やその他の活動にも欲は無いのでしょうか。

「基本的に今はそういう余裕が無くて…。セリフ覚えてるばっかりなんで、追われてる感がすごいから、なんかそういう余裕っていうか、心に隙がない。だいたい次の舞台にドキドキしてるし、来年の舞台にももうちょっぴりドキドキしてるから。覚えるセリフ量もすごい多いし。ここ2、3日はちょっと余裕があるんだけど『あ、今のうちに舞台のほう、ちょっと』ってなっちゃう。与えられたものをどういう感じでやろうかなあっていう、そういうことばっかり考えてるから。がむしゃらっていうのとも違って、いっぱいいっぱい(笑)。」

 最後に、同窓生の皆さんにメッセージをいただきました。

「まずは、みんな体に気をつけて(笑)。健康診断、人間ドックに行きましょう。体が資本ですってことを言いたいですね、特に僕らの年代には。健康を損ねるのだけは避けてほしい。元気であれば何とか。たとえ仕事が無くなっても大丈夫だから。みんなそこには気をつけて欲しいな。と思いますね。」

 ご自身の健康の秘訣をうかがうと、

「運動はするし、たぶん俳優さんはみんなそうだと思うけど、基本いつもダイエットを心がけてる。油断したらカッて太るから。実際は痩せてても、画面に映ったらたぶんぽっちゃり。ガッと痩せないと、歳だから。痩せる方法は知ってるんだけど、なかなかそうも…。あと、年に一回必ず人間ドック。そこをもったいないと思わずに(笑)。」

 在校生の皆さんにもメッセージをいただきました。

「英語をとにかく。勉強しといたほうがいいよっていうことを。もっとやっときゃよかった…。社会に出て、英語、重要だなって。受験勉強で『でる単』とか『豆単』とか全部覚えたけど。今はもう忘れちゃってる…。僕は英語、オススメです。あと、役者を目指さないように。きつい仕事だから。もし目指そうとする人がいるかもしれないので言っときますけど(笑)。」

 お忙しい毎日をお過ごしの田中さんですが、実家にはたまに顔を出されるとのこと。「学校へもぜひ一度」とお勧めすると照れて笑われました。

「いやいやいや。恥ずかしい。負い目がある、なんか。川村さんに刃向かったこととか(笑)。」

 多忙を極める毎日にもかかわらず、取材にお付き合いくださった田中さん。長時間にわたる素人の不慣れなインタビューに、終始にこやかにお付き合いくださいました。こんな素敵な同窓生が舞台やテレビやスクリーンで大活躍していらっしゃるというのは、本当に嬉しいことです。これからのご活躍にも目が離せませんね。同窓生一同、大いに期待し、応援させていただきましょう。

俳優 田中哲司さん
【プロフィール】
田中哲司 たなかてつし
1966年,三重県鈴鹿市生まれ。1984年,海星高等学校を卒業する(32回生)。音楽系専門学校を経て,1990年に日本大学藝術学部演劇学科を卒業。長塚圭史,いのうえひでのり,野田秀樹らの演出する舞台作品に数多く出演。大河ドラマ「軍師官兵衛」(NHK)や「ST赤と白の捜査ファイル」(日本テレビ系)にも出演中。現在は舞台「背信」の公演に向け,稽古の真っ最中である。東京都在住。

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