親友の杉山君より呑みながらバトンを受け取ったヨシキンです。高校を卒業して18年。皆様元気にしていますか? これを見て連絡をいただけると嬉しいです。
海星を選んだ理由は野球部に入部し甲子園に出場したかったからです。
ただ…
高校入学前に右肘を手術し,思うようにボールが投げられなくなり,夢をあきらめなければなりませんでした。
無気力に日々過ごしていたときに,今でもよく呑みにいく藤村キャプテン(41回生)に出会い,フェンシング部に入りました。フェンシング? と,なめた感じで思っていたのですが,練習が意外に厳しく,3年間,早朝から夜遅くまで練習しました。3年生の時に激戦を勝ち抜き,インターハイに出場,活躍できたのはいい思い出です。
また,野球に未練があり,野球部の手伝いになることはないかと考え応援団にも入りました。甲子園のアルプススタンドで応援団員として応援できたことは,今でも誇りです。
野球部のみんなありがとう。
当時の苦い思い出ですが,入学したての頃,野球ができない体になって腐っていた時に,担任の北村先生に十数発ビンタをされたのが1番鮮明に覚えています(笑)。でも,そのおかげで今の自分がいるような気がします。この場をお借りして,恩師にお礼を言わせていただきます。北村先生,あの時叱っていただき,本当にありがとうございました。
現在,私は外資系の保険営業をし,経営者のアドバイザー的存在の仕事をしております。この仕事をしていると,感謝する気持を大切にして恩返しをすることが,自然と日常になりました。
そして,青春を過ごした四日市に恩返しができないかと思うようになり,社団法人四日市青年会議所で「明るい豊かなまちの実現」のために日々活動しております。少しでも四日市に貢献できるようこれからも頑張ります。
次にバトンを回すのは,公私共にお世話になっている伊藤克弥先輩です。マスターズ甲子園出場し快勝おめでとうございます!!
みなさんご無沙汰しております。水元君よりリレーコラムのバトンを頂きました杉山です。水元君は中学・高校の1つ下の後輩になります。よって私は42回生。良い数字ではありませんが覚え易くて良しとしましょう。そして数えたら卒業して18年も経とうとしていて,現在私はダブルスコアの36歳。ゴルフのハーフラウンドもそのくらいのスコアで回りたいものです。
私自身の近況は,大学生活で4年間豊橋に住みましたが,現在は生まれ育ったいなべ市に戻っており,現在は3児の父です。
望みもしていないのに腹は出てくるし年々痩せ難くなるわで,中年のおっちゃんの域に達したんでしょうか(笑)?
本題に戻ります。海星高校在学中の思い出はいろいろありますね。電車を乗り継いで2時間ちょっとかかった通学,校舎周りが何とも言えないようないような臭い(光化学スモッグ警報か?)がしたこと,何故か毎日引き寄せられるように必ず立ち寄っていた校門前の「うえきや」,椅子とパイプでつながっていた使い勝手の悪すぎる教室の机,全部掃ききって欲しかった掃除の折に校舎内に撒かれたオガクズみたいな黄色い粉,そして強かった野球部に連れて行ってもらった甲子園で大声で応援したこと,とまぁ書ききれないくらいありますが,一番の思い出は体育の時間にやった(いや,やらされたんです)スクワットですね。社会人になってから海星高校の出身者に結構出会いますが,思い出話に必ず出てくるのがスクワットです。確か200回以上で累積回数に数えられて累積計2000回やらなければならず,500回を3回やると特別にそれで終了でした。
体育館でみんな整列して大きな声で「イチニッサンッ!ニーニッサンッ!サンニッサンッ!。。。」みんな懐かしいと思います。それで,ギブアップする人が多くなると残った人だけで円になってやってましたね。本当に地獄でした。足がめちゃめちゃ痛いし。
それにスクワットをやる前に腕立て伏せ,腹筋,エビぞり背筋,馬跳びなどで体力をかな~り奪われていたんですよ。確か竹刀持って「こら~もっと頑張らんか~!」って叫んでいた先生も居ましたよ。。。鬼に見えました。頭からツノが見えました。
そんな中で私は頑張って500回を3回やりましたよ。壇上で高見の見物が出来ましたし,サッカー部の先輩をどうしても見返したくて。3年間サッカー部に所属していましたが,先輩も同級生も後輩もみんな上手くてレギュラーなんて到底無理でした。でもそんな大きくて強くてどうやっても敵わない先輩2人に「体力だけはお前には負けるわ」って言われたのがうれしくて。
それ以来,それだけのためにスクワットを意地張って頑張っていたんです。サッカーもそれくらいやれよっ! って話ですよね(笑)。
今「やれ」って言われても確実に無理です。筋が数本切れるでしょう。今でもやっているんでしょうか? 在校生の方,将来役に立つかどうか不明ですが是非とも頑張ってもらいたいものです。
最後に,在校中担任して頂いた倉田先生,早川先生をはじめご指導いただきました先生方にこの場で恐縮ですが改めて感謝すると共に,母校海星高等学校の益々の発展をお祈り致します。
そして私はクラスの仲間にも恵まれました。特に3年のクラスは面白くてひょうきんな人が多くて男子ばかりでも楽しかったです。
そんな中で次にバトンを回すのは中村吉均くんです。ココに名指しで指名すれば断れんやろうに! 頼んだよヨシキン!!!
はじめまして。亀井君よりバトンをいただきました,いなべ市在住の水元と申します。亀井君と同じ43回生です。
海星高校在学中の思い出は,十数年経っているので忘れてしまっていることが多いです。部活をやったりして楽しかったことや辛かったこと,通学に2時間ほどかかったな,ということはよく覚えております。
海星高校を卒業してから,1年生の時に同じクラスだった友人7名と毎年,正月の休みに集まっておりました。最初はなんとなく集まり始めましたが,この集まりは現在まで1度も欠かすことなく16年ほど続いております。
20歳前後の頃は高校の同級生が集まっても当然なのですが,男ばかりですので寂しいことだと感じており,男子校の卒業生であることを悔やんだこともありました。
これまで,友人達とはいつも馬鹿なことや無茶なことばかりして遊んでおりました。また,お互いにきついことを言い合うこともあり,けんかしたりすることもありました。しかし,これは心を許せる仲である証拠だと思っております。男子校だからこそ,このような友人ができたのかもしれません。
最近になってやっと男子校で良かったなと思えるようになってきました…。
現在は,いなべ市にあるパソコン教室(イオン大安店内にございます)の責任者として働かせていただいております。
リレーコラムを紹介いただき,高校時代を思い返す良いきっかけとなりました。本当にありがとうございました。
現在,鈴鹿市に住んでいる亀井と申します。
海星高校時代の思い出はたくさんあるはずですが,卒業して15年以上経つと,だんだん記憶が薄れてきて,自分が海星出身というのを忘れかけてしまうこともあります。しかし,自分が海星出身だなあと思える時がたまにあります。
それは,海星出身者に偶然会ったときです。職場で会ったり,スポーツジムで会ったり,飲み会で会ったり…。意外と海星出身者っていろんなところにいるものです。しかも高校時代には考えていないような経歴を持つ人が多いことです。例えば,浪人してすごくいい大学に入って今は魚屋さんとか…,全く関係のないコンビナート職員とか…。ただ,1つみんなに共通して言えるのは,我慢強くひたむきに頑張っている人が多いことです。
そして,もう1つ言えるのはみんなマジメだということです。それはやはりあの時,3年間行ったスクワットがあるからだと思います。これからもつらいことがあったら,あの時のつらさを思い出し,今の方がマシと思ってみんなには頑張って欲しいものです。そして僕も頑張ります。
REMEMBER スクワット!!
小林泰輔くんからバトンを受けました田中英則と申します。同じ43回生です。
闇黒の高校時代を送った私ですが…
ここ最近,海星の同級生に出会うことが多く,学生時代のことを思い出し,綴ってみたいと思います。
まず,I・Tくん! 彼は見た目がおとなしいんですが,ギター,ベース,ドラムを演奏できるロックンローラーです。彼の影響もあり,高校卒業後,私もドラムを始めました。彼は最近いつも突然に連絡をくれ,また,自宅にも突然に訪問してくれ,いつもびっくりさせてくれています。彼のおかげでつい先日プチ同窓会を行いました。
次にT・Kくん! 彼はプロ野球マニアで大の中日ファン! 私は阪神ファンでよく2人で熱いプロ野球トークをしていました。パ・リーグはお互い近鉄(もうない)ファンでよく見に行った記憶があります。
次はY・K君! 彼とは高校時代仲が悪く卒業後は会うこともないだろうと思っていたところ,数年前にバッタリ名古屋の某所で会い,瞬時に意気投合!高校時代のことは微塵も感じさせない今では仲良くさせてもらってます。また,30歳を超え,お互い将来のことを考え,夏休みに図書館で10時間勉強した勉強仲間でもあります。
最後はD・K君! 一度は疎遠になった時期もありましたが…。彼から突然の連絡をもらったことをきっかけに仲良くさせてもらっています。彼は,今では共通の友人である関東在住のI・Tさんを紹介してくれました。
I・Tさんは何事も諦めず,とても強い精神力で難関の国家試験も合格され,D・K君と話をすればI・Tさんの話題もよくでてきます。I・Tさんと話をすると,すっごいエネルギーをもらい,仕事もプライベートも頑張れます。感謝しています。D・Kくんは常に忙しいらしく,毎日奔走しているようです。
最後に,こうして振り返ってみると沢山の出会いに感謝すると同時に,在学中,型破りな生活をしていても自由な校風で学生を導いてくれた海星のおかげで,今卒業しても語らえる仲間がいるのだと思います。
はじめまして,43回生の小林泰輔です。
ご縁があってリレーコラムに参加させていただきます。
「男子校って終わっとるよな」
このセリフで始まった高校生活でしたが,振り返ってみると海星が母校で良かったなと思っております。当然ですが同級生も先輩も後輩も全員男で,修学旅行も男ばかり。体育祭もそう。イヤだイヤだという割には他校の女の子と話すことが恥ずかしくって,なかなか複雑な青春時代を過ごしました。
ところが卒業を迎え,大学生活を送り,社会人になってみると,徐々に男の力に助けられることが増えてきます。しょーもないことを企画するのはいつでも男の友人であったし,朝まで話し込む相手も圧倒的に男が多かった。また,私は大学生活を県外で過ごしておりましたが,地元に帰り社会人としての毎日を過ごしていると,なぜか色んな所で同窓生に出会います。お世話になっているお客さまが海星の先輩であったり,一生懸命女の子のお尻を追い駆け回したライバルが後輩であったりと,色んな出会いがあります。そういった時に必ず生まれる心地良い空気があって,例えば「男子校」なんてネタが更に距離を縮めてくれたりもします。在学当時に感じた違和感が,今では話のネタとして扱われていることに驚きですが,改めて振り返ってみると,海星での毎日には特徴的なネタが数多くあり,今ではそれらが良い思い出となっていることを嬉しく思います。
最後に,今回ナニゲに他校の同窓会を検索してみましたが,海星の同窓会は断トツで充実していますね! このリレーコラムの企画やHPを拝見して嬉しくなりました。役員の皆さんのご尽力に感謝いたします。
43回生の藤盛桂一です。
佐藤さんからの紹介で,リレーコラムに参加させて頂くこととなりました。投稿が大幅に遅くなり申し訳ございませんでした。
高校時代を振り返り,もう15年以上が経つのだなと改めて時の流れを感じます。
在学中は硬式テニス部の在籍し,3年間テニス中心の生活を過ごしていました。1年生の時に3年生の先輩が「2年生は先輩や。先生は先生や。3年生は神様や。」と言われた事は今でも心に刻まれています(笑)。お陰さまで先輩後輩の上下関係や挨拶などはしっかり身につける事が出来たと思います。
在学中の思い出として忘れられないのがスクワットです(今もあるのでしょうか?)。他校の友人たちが球技で楽しく体育の授業を受けている時に,自分達はひたすら筋力トレーニングをしている悲しさを感じたものです。
しかし,1度だけスクワットのテストを6回で2,000回クリアーして,最後の1日に壇上からスクワットをする光景を見たときの達成感は,海星高校の体育でしか味わえないのかなと思いました。
現在は結婚し,5歳になる可愛い息子にも恵まれ幸せに過ごしております。仕事は8年ほど外で勉強させて頂いてから,海星高校の先輩でもある父の会社で勤めております。厳しいご時世ですが,海星高校で培った経験を活かして乗り越えていきたいと思います。
寒さも増してまいりました,皆さま風邪など召されぬようご自愛くださいませ。
佐藤左恭です。
このような企画により海星メンバーの近況を知ることができ,とても楽しく読むことができました。企画された上田さんありがとうございます。
特になかなか集まることができない我が前田先生クラスにとっては,とてもありがたいと思います。
卒業をしてからのことや近況について書きたいと思います。
高校生の時は車が好きで,特に「○所印」という所ジョージのTV番組に影響を受け,車をつくりたく大学は機械工学科に進みました。入学してすぐに志を忘れ,遊ぶことしか考えていない大学生活を送りました。それでも卒業をする頃には,漠然と経営者になりたいと思うようになりました。
理工学部だったため,まわりの学生はメーカーに就職してましたが,将来経営者を目指すにはベンチャー企業でいろんな仕事を勉強することが近道だろうと考え,当時勢いがあったベンチャー企業に入社しました。
その会社は刺激的な会社でした。同期はギラギラしているメンバーが多く競争も激しかったです。その頃の自分はとても未熟であったため,目立つために会社に文句ばかり言っていました。それが自己アピールであると勘違いをしていたのです。今考えるとほんと馬鹿だなーと思います。あの時の自分に会って説教をしたくなります。
入社して3か月めに人事に呼ばれ,大阪転勤を告げられました。人事からは「大阪にあなたが必要なんです」と言われましたが,それはあきらかに「出直してこい」ということでした。当時一番厳しい上司がいる部署に飛ばされました。
大阪に飛ばされ,とても寂しい気持ちのときに岩崎敬と岡田晃が遊びに来てくれました。そして会社のノートパソコンを壊してくれたことは,とても楽しい思い出です。大変うれしかった記憶だけが残っております。
その当時はとにかく東京で生活したかったので,大阪に来てから人事に「東京に戻してほしい」とアピールしていたら,なんと1か月後に神奈川に転勤となりました。この異動が決まったときは,大学受験に合格したときぐらいに喜びました。そして,その後人生最大のモテ期がやってきました!
まだまだこの後の話を書きたいのですがあまりにも長くなりそうなのですっ飛ばします。いつか会ったときに話のネタにさせてもらいます。その後,波乱のサラリーマン生活を約10年間送りました。その頃には,経営者になりたいという気持ちを完全に忘れてました。
そんなある日,ひょんなことから地元の鈴鹿市に戻ることになりました。
私は現在地元の鈴鹿市に住み不動産業を営んでおります。高校生の時はとにかく鈴鹿市から出たかったのですが,今は鈴鹿の良さがわかるようになりました。ほんといい町だと思います。
鈴鹿市は日本全国の地方が経済的に苦しむなか,大企業の工場が多く元気な町だと思います。海や山が近く,スポーツ施設が整っているのでテニスコートや野球場を手軽に確保することができます。家族で幸せな生活するためには,とても恵まれている町だと思います。
そんな鈴鹿市の人口は約20万人です。これは全国の市,区では118/786位です。鈴鹿市は全国で比べても人口が多い元気な町なんです。
週末の鈴鹿市民はみなベルシティーに行きます。ベルシティーに行くと子連れの家族,妊娠中の女性をたくさんみます。少子化をまったく感じないのですが,統計的には確実に少子化が進んでいます。5年後ぐらいから人口の減少が進むと想定されており,現在の鈴鹿市の活気がどうなるのかと心配です。私が住む白子の町も高齢化が進み商店街の活気がなくなりつつあります。
そんな白子の町を盛り上げたく,現在,白子の若手有志25名で黒子会という会をつくりました(竹口広泰くんも一緒のメンバーです)。
白子の地域発展を願って,祭りに参加したり,みこしを担いだり,出店を出したり,はたまた白子小学校の子供達と一緒に地産の「しらこ」と「のり」を使った白子ピザを石窯をつかって焼いて食べ,地域発展について一緒に考えたりしています。
子供達に地元に愛着を持ってもらおうと活動しています。
少しでも白子が活気づくことを願っております。
今後も地域発展に貢献できるよう,鈴鹿を盛り上げていきたいと思っております。
がんばれ鈴鹿!
最近このコラムリレーの存在を聞き,懐かしい旧友たちの近況と活躍を知ることができ,とてもうれしく思っています。僕も多少でも誰かの刺激になればと自分の近況をここに記したいと思います。
僕は現在北海道ニセコで暮らしています。最も近所のマクドナルドまで片道100km,車で2時間かかりますが,インターネットのおかげで買い物はワールドワイド,レンタルDVDもネットで注文,フェイスブックで世界の友人と連絡が取り合える,なんとも便利な生活をさせてもらっています。
現在アウトドアアクティビティを提供する会社で社員として働いていますが,一般的な世の中の社会人とは少し違う生活をしていると思います。アドベンチャー会社なので,仕事でもかなり自然の中で活動する必要があるので,夏は仕事の合間に激流の川でカヤックを漕ぎ,冬は出勤前に雪山を登山してスキーで滑りおりたりを日常とする生活をしています。今日はどこが雪崩そうだとか,どの川が増水していて良いコンディションだとか,肋骨が折れたとかじん帯が切れたとか,そんな会話が普通に飛び交う安定とは無縁な「体が資本」の世界です。
昨年は仕事で写真を撮影するために1人で山に入っていたら,目の前に巨大なヒグマが現れ,距離にしてほんの数メートル,この世のモノとは思えない恐ろしい吠え声で吠えられ続けるという類を見ない恐怖の体験までしました。
そんな自然たっぷりな田舎ですが,ニセコは一般的な田舎ともまたちょっと違っていて,冬になるとパウダースノーを求めて世界中からたくさんの外国人がスキーをしに訪れるし,働きにも来ます。日本人3割,外国人7割とまるで海外。数か月間は英語を話さない日はない不思議な空間となります。僕は10年前にアラスカで1年間毎日が生きる勝負の日々を送っていました。そのときは仕事をするためのビザで苦労した経験があるのですが,今は立場がまったく逆。今度は自分がたくさんの外国の若者の履歴書に目を通したり,ビザの心配をしたりしています。そんなことをしていると,彼らが10年前の自分とダブって,ちょっと不思議な気持ちになると同時に,今の自分があることに感謝し,ここが日本でよかったなと思ったりします。
僕は20代の自分には想像できなかったような輝きに満ちた30代を過ごすことができました。それは,自分に正直に,時々「挑戦」をしてきたからだと思います。こんな毎日を過ごしていると,人生はつくづく面白いものだと思います。相変わらず先のわからない生活を送っていますが,それを不安と思うか,それとも自分を試す「挑戦」と捉えるかで同じことをしていても見え方が全く異なります。「挑戦」にはいくつになっても沸々と燃えてくるものがあります。知りたいこと,やってみたいことがありすぎて,実際どこまで実現できることやら。でも目の前の「未知」が振り返れば「道」となる。その気持ちを忘れずに不安を新しい挑戦に変え,目の前に迫りくる想像のできない40代に突入するぞと,改めてフンドシと貧相な財布のヒモを締め直して,新しい挑戦の予感に浸っている今日この頃であります。
皆さま,御無沙汰しております。前走者,佐藤君から「友達がいないから…」と涙声で口説き落とされて,無理やり投稿させられました。竹口です。
海星高校同窓会の公式HPということで,皆様の記述,懐かしく拝見しました。学生時代と変わらない気持ちとは裏腹に,かわいい2人の女児の父親になり,疲れのとれない身体で家業に邁進しております。
卒業して20年,改めて驚きます。学生時代は遠い昔になりました。
私は先に言っておきます。先生に怒られた記憶は一切ありません。
20年程前,私が在学当時は服装もブレザーでは無く,学生服でした。ズボンは「ボンタン」が流行し,皆,先生の目を盗み履いていましたね? 今となっては楽しい思い出ですが,「ボンタン狩り」をするのは先生方でした。生徒が非行に走らないように塩浜駅で仁王立ちして頂いておりました。頭が下がります。走者の方々,思い出しましたか? ちなみに,私は前走者の山西先生と仲良く手をつなぎ,それを横目に襟を正し,通学しておりました。
キャンプ,合宿,修学旅行,様々思い出しますが,友人の保身の為,ココに記述できないことだらけです。
思い返し,記述できること…?…!!! テニス部に入部していたわけでは無いのですが,クラスの分け隔てなく,市立体育館で早朝からナイターまでテニスに興じておりました。管理してくれる先生などがいるわけもなく,炎天下で一日中遊ぶ事で,疲れているはずなのに体が火照ってなかなか就寝できません。でも,毎週末のようにみんなで集まっていました。そんなことで欲求を発散していたのでしょう。
今では時間も体力も無く,実行不可能なことです。その時にしかできなかったことでしょう。書き連ねると現状の報告よりも思い出話がたくさん出てきます。それだけ学生生活が楽しかったからでしょう。現在,在学する皆様も私共以上に良い思い出作りに奔走してください。
次走者ですが,学生時代の成績は常にトップ(外見からは想像できませんが),運動神経も抜群の彼を紹介します。現在,日本中を探してもこんな小っちゃいスーパーサイヤおやじは稀有な存在です。彼も最高の伴侶を見つけ,ま~るくなりましたよ。
39回卒業生の佐藤と申します。山西君より紹介を受けましたので,投稿させていただきます。また投稿が遅くなり申し訳ございません。次走者より「バトンが来ない,死んでしまったのでは?」と,お怒りの生存確認のメールをいただいてしまった次第です。
私は新潟県で生まれ,すぐに引っ越し東京に,その後三重県へと転々と移動し(借金取りに追われていた訳ではございません),国内某製薬会社に入社し,愛媛県に配属となり,5年前に山西君のいる高知に転勤,偶然にも彼のいる大学病院に行かせてもらっています。
大学での彼はというと,バリバリ活躍しており,立場的に中堅医師となり若手医師や,研修医の指導をしています。確か学生に授業もしているのではないでしょうか? 最初は,他の先生がいる時に気を使って「山西先生」と呼んでいましたが,どうも違和感があり最近は,昔のように「山ちゃん」と呼んでおります。
そんな私も,四国での在住期間がすでに14年になり,四国支店の中では,100名以上いる営業マン(私達の業種では一応MRといいます。)の中では最長貯留者となってしまい(引き取ってくれる部署がなかったため??),8月盆明けに,信州大学への転勤配属を言われ,現在はなんか忙しい日々を送っています。
高校卒業後,海星時代の友人は本当に少なくなり,大学時代から時々会っていた親友の山西君のいる高知大学医学部附属病院の担当になった時は,嬉しくも何かの縁があるのでは…と不思議な気がしていました。山西君と会う機会が少なくなると思うと寂しいです。
海星時代の思い出といえば,良い思い出も,悪い思い出も沢山あります。そのうち,投稿しても問題のないものをいくつかを紹介します。
良い思い出では,まず2年連続で甲子園に応援に行ったことでしょうか。たしか1回戦は2回とも勝っていました。長崎海星との同名校対戦の時は,「長崎倒せ」と長崎県民が聞いたら怒るようなことを必死に叫んでいたことを覚えています。頑張れ海星!! でも三重の海星ね!!
また当時は,パソコンゲームが流行っており,またその中でもファミコン派かパソコン派に分かれていました。39回生のこれまでのコラム投稿者の中では,小松君,藤村君,山浦君はファミコン派,若林君はパソコン派,山西君はどっちもしていなかったのでは? と覚えています(←どうでもいいことですけど)。同級生の伊藤君,萩君,後藤君から,よくゲームソフトをコピーしてもらって遊んでいたと思います。禁ソフトは5学年上にいらしゃったY先輩から譲ってもらっていました。そんなわけで,当然帰宅しても全く勉強もせず,ゲームをしたりビデオを見たりしていました。隣のBクラスに同姓の佐藤君がいましたが,「阿呆の佐藤,天才の佐藤」と言われ,私は当然前者でありました。
悪い思い出では,山西君とは全く正反対で,学生時代は不真面目で,今となっては下村先生に申し訳ないと思いますが,良い意味でも悪い意味でも目立っており,頭髪検査でよくひっかかり何回も坊主頭になっていました。当時は,本当に恨んでいたと思います。不思議なもので,社会人になって突然「坊主にしたい」と思い2回坊主頭にしましたが,愛媛時代の取引先の大病院の院長からやめるように怒られ,現在はごくごく普通のリーマンカットです。
あとは,体育の時間の海星スクワット! あれは正直辛かったです。500回を3回連続で達成できれば,次の体育の時間は自由に遊んでよい,というご褒美があり,必死にスクワットしていたことを覚えています。当然翌日は筋肉痛に悩まされていましたが…(笑)。今もしているのでしょうか? ちなみに30歳台後半の今ではできないと,自信を持って思います。
最後に,話が突然飛びますが,病気になったら薬局で薬を購入するよりも,病院へ行ったほうがいいと思います。何故なら薬の成分が全く違うからです。特にシップ薬や胃薬などは絶対病院で薬を処方してもらう方が安いです。BY一応薬剤師の資格だけもっている営業マンより,卒業生の皆様のご健康をお祈りして。
次走者のT君! 遅くなって申し訳ないです。バトン渡します。
「龍馬伝」でまっこと盛り上がっている南国土佐の高知にきて,すでに18年になろうとしています。39回卒業生の山西と申します。皆様お元気ですか。藤村君より紹介を受けましたので喜んでコラムに投稿させていただきます。
自分は鈴鹿で生まれましたが,すぐに引っ越し,小学生の頃に戻るまで千葉の柏に暮らしていましたので,すでに18年暮らしている高知での生活のほうが長くなっています。故郷に戻るのはF1観戦のときくらいでしょうか。
こちらで結婚し,子供も3人授かり,プロ野球などのキャンプで有名な春野にマイホームも建てて,すっかり気分は土佐人です(笑)。でも土佐弁はいまだに上手く使いこなせません(下手にマネすると「違う」と嫁さんからも駄目出しされます)。
大学卒業からそのまま大学病院勤務になってもう10年あまり。本当に時間の経つのが速いなと感じますが,海星時代のことは本当によく思い出します。なぜなら,同級生の佐藤君と仕事でしょっちゅう会い,海星話で盛り上がったりすることもしばしばだからです。三重から遠く離れた高知で同級生と一緒にいると不思議な感じですが,彼とは海釣りにいったり今でも本当に仲良くさせてもらっています(相変わらずのキャラで,みんなにイジられています)。
学生時代の自分は本当に真面目で,先生に怒られた記憶もほとんどありませんが,時には色々ハメを外したりしたのも今では本当にいい思い出です(笑)。担当だった下村先生にいつも親身になってご指導いただいたことには今でも大変感謝しております。どうみても文系頭だった自分に,特別入試を実施していた高知医大を薦めてくれた先生のおかげで今の自分があると思います。一度TVの記者会見で先生をお見かけしたときは,随分ご苦労されていると思ったとは自分だけでしょうか。また同窓会などで先生にお礼できればと思っております。幹事の広田君,また宜しくね!
あと海星は英語教育に力を入れていたのもよく覚えています。洋楽が好きなこともあり,英語は好きな方でしたが,国際学会に行くときなどは学生時代にもっと勉強しておくべきだったと悔やんでしまいます。
甲子園に何度も応援に行ったのもいい思い出です。父親の影響で小さい頃から野球ファンで,今でも巨人ファンですが,夢の舞台で何度も応援できたのは本当に幸せでした。夏の甲子園では確かベスト8までいったと思いますが,熱気あふれるアルプススタンドで皆で何度も飛び上がりながら歓声を上げていたのが懐かしいです。こちらに来ても「三重海星」といえば「爽やかなチーム」として知られているので,本当に素晴らしいと思います。このコラムを書きながら今年の高校野球三重大会の結果をみて非常に残念でした。去年も決勝で敗れた対戦相手の三重高校は,自分の妹の旦那の出身校(おまけに野球部)ですので負けるのが結構辛いです(笑)。今度出るときは家族で甲子園に応援に行くぞと思ってもう何年になるでしょうか。今後の一層の活躍に期待ですね。頑張れ,三重海星! そして三重海星の卒業生の一員として自分も負けずに頑張るぜよ! 追伸:藤村君へ,紹介ありがとう。今度また新居見に行きますね。その時はかわいい赤ちゃんにも会えることを楽しみにしております。
海星高校卒業生の藤村と申します。よろしくお願いします。
たくさん思い出があるのですが,今でも鮮明に覚えていることは,溝(海星高校の真ん前の)に落ちたことです。
当時,塩浜駅から学校まで自転車で通っていたのですが,その日は雪が積もっていて,タイヤが滑って自転車ごとドブに落ちてしまいました。
学生服がべっちゃんこに濡れてしまい,着替えの服がなかったのでレインコートに着替えた覚えがあります。寒かったですね!
その後,親が制服を持ってきてくれたのですが,その間に担任の先生が泥だらけの学生服を洗ってくださったことがとても印象に残っています。
おそらく,あれ以来今もまだドブに落ちた学生はいないのではないでしょうか。
他の学校では無いと思いますが,毎年体育館でクリスマス会があったことを覚えています。そのクリスマス会がとても楽しみでした。当時の校長先生(エウヘニオ・モンレアル先生)がギターを弾きながら何かを歌っていました。
今でもクリスマスの日が近づくと,必ずその時の楽しかった気持ちが湧き上がってきます。今もクリスマス会が続いているといいですね。
体育の授業もよく覚えています。当時「ライオン丸」と呼ばれていた体育の豪快な先生がおられました。たまに吠えることがあったのでとても怖かったです。本当は優しい先生だったのかもしれませんが,当時の僕には「恐怖」でした。今もお元気でいらっしゃったらいいのですが。
とにかく,スクワットとうさぎ跳びはもうしたくないですね。伝統のスクワットはおそらく今でもあるのでは?ないでしょうか。
在学中の皆さん、スクワット頑張ってくださいね。応援してます!!
皆さんこんにちは。39回生の若林と申します。現在は神奈川在住,情報システム系の勤務で予算削減の中,日々パケットやlog,LDAP達と奮闘しております。
山浦君からの紹介でリレーコラムのご縁をいただきました。暫しの間,お付き合いのほど,宜しくお願いいたします。
山浦君,小松君とは同級生の縁で,小生も弱いながらも,たま~に飲んだりしています。海星高校,誠に懐かしい限りです。。
地元を離れ,日々生活の中,県外から三重に触れる機会があると,懐かしむ気持ちと共に,当時自分がいかにのんびりと過ごしていたかをしみじみと振り返ったりします。
関東近県では三重の特に地理的位置も含めた認知度の低さに比べ,海星高校が特に野球部の方々のご活躍のお陰か,全国的に知られていることに改めて感謝する機会があります。
当時を振り返ると,皆様と同じように,行進の練習で「1が左ーっ!」と背中に愛情のビンタを頂いたり(笑),スクワットで筋肉痛を味わったり(そのわりに筋肉はつきませんでしたが),日々ソフトボールに励んでは「うえきやさん」に溜まって「タッチ」を読んでいたことを思い出します(笑)。
あるとき体育館のガラスを割ってしまい,5万円支払ったのは苦い思い出の一つです(苦笑)。
更に記憶を遡り,中学のキャンプ・ファイアで某神父の物真似をして,その後の授業でいつもより多めに当てられた(イジられた) 記憶があります(笑)。色んな意味で個性溢れる学校生活だったと思います(笑)。
まだまだ思い出はあ尽きませんが,在校生の方々は日々どのように過ごされているのでしょうか。
少子化の問題が顕在化しつつある昨今ですが,海星中・高校の末永い発展と皆様のご健勝をお祈り致します。
皆さんこんにちは。39回生の山浦です。小松さんからの紹介でリレーコラムに参加させていただきます。
紹介していただいた小松さんとは,新宿界隈でよく一緒に飲んでおり,海星時代の話題になることも多々あります。
リレーコラム寄稿のお誘いをいただいたのをきっかけに,同窓会サイトの他のコンテンツも拝見しました。卒業してはや20年以上が経過している事実に感慨と懐かしさを覚えつつ読ませていただきました。
私は大学進学から上京し,現在は都内でIT関係の仕事をしています。小松さんの他,東京近辺に在住する一部の卒業生とは定期的に連絡を取らせていただいているのですが,それ以外の同じクラスの卒業生の皆さんが今何をされているのかがとても気になります。
さて,海星時代の話題になりますが,私の場合,海星時代を振り返って真っ先に思い出すのは「体育の授業(春~夏バージョン)」です。授業のメニューは皆さんご存じの通り「ダッシュ」「腕立て」「腹筋」「背筋」,そして締めは「スクワット(200回以上)」で終わるというとても濃い内容でした。
この季節は,カニのように横向きになって,手すりにしっかりつかまって(氷上のスケート初心者みたいに)階段を昇り降りしていたことも今では懐かしい思い出です。
確か週2~3回ほど体育の授業が組み込まれていたと記憶しております。体育の授業の間隔が開いているほど「体力(=筋肉痛)の回復が図れる」ため,「時間割り」がとても重要でした(火・水の2連チャンといった痛恨のケースもありました)。
当時はものすごい回数の腹筋をこなしておりましたが,このあいだ試しにやってみたところ,10回でギブアップしてしまい,少しショックでした。日頃の鍛錬の重要さを思い知りました。
最後になりますが,東京在住の海星OBの方,機会があれば是非語り合いたいですね。是非お声を掛けてください。
39回生の小松です。
野崎君から突然の連絡があり、参加しました。
当初は「海星OB」のどなたかが個人的に運営しているSNSの中への寄稿かと思い、気軽に「イイヨー」と返事をしたところ、実は公式サイト内での企画と知り、少し驚きました(苦笑)
現在、私は東京でIT全般の仕事をしているので、東京周辺に生息している海星OBと供に新宿の夜に繰り出す機会が多く、その際、在校時の「想い出」もよく話題に上ります。あっという間に終わってしまった巨大迷路。確かオープン当時は、全国的に流行っていて、物珍しさにみんなで散策に行きました。結局、壁の下をくぐるズルでゴールしてしまったなぁ。とか。
毎週、自転車が忽然と消える駅前駐輪場。サドルだけが消えていたり、逆にチェーンを付けておいた前輪だけが残っていたり(これは、残念度が高かったですね。自転車が全体的に無くなるなら、まだ諦めもつきますけど。)とか。
校内的には、菓子パンの自動販売機。欲しいパンが入った棚の扉を開く形式のもの、まだあるのでしょうか?何も入っていない棚を友達に横から開けられてしまった時のショック。とか。
当時6年間お世話になった先生がいつの間にか、とても偉い先生になられたようだ、、、などなど。そんなこんなと当時を懐かしみ、新宿の夜を楽しんでいますので、聞いたことがあるような話が聞こえてきた際は、是非お声掛けください。一緒に語りましょう!
皆様,お元気でしょうか? 40回生の野崎です。
中澤君より紹介を受け,リレーコラムに参加させていただきます。
中澤君とは「偶然なる再会」もあってか,定期的に「仕事帰りの一杯」を継続してますが,毎回「男クサイひと頃」をネタにしてます。
海運関係の仕事に就いていることもあり,周囲には男子校経験者も少なくありません。その中ではまだまだ「男クサイ度」は低く,もっと謳歌していれば…と思うこともあります。家族を持ち,子どもが男子校へ進学する機会もあるかもしれませんが,その時には,経験者としてもぜひ選択肢として薦めたいと思います。
それも,海星での生活が良かったと思うからなのでしょう…。
小生の思い出としては,やはり「道徳の授業」ですかね。カトリック校に通った印象を聞かれると毎回そう答えてます。聖書に沿った内容でしたよね?? いい経験でした。
帰郷しても,なかなか学校を訪問する機会はありませんが,学食は今もあるのでしょうね。学食のシステムは中・高校としてはすばらしいシステムだと思います。また食べてみたいなー。子どもたちと。
小生の思い出としては,やはり「道徳の授業」ですかね。
カトリック校に通った印象を聞かれると毎回そう答えてます。
聖書に沿った内容でしたよね?? いい経験でした。
帰郷しても,なかなか学校を訪問する機会はありませんが,学食は今もあるのでしょうね。学食のシステムは中・高校としてはすばらしいシステムだと思います。また食べてみたいなー。子どもたちと。
ご無沙汰しております。皆様お元気でいらっしゃいますか? 平成4年卒業で,瀬古君や円谷君と同じクラスだった中澤です。沢村先生はじめ,先生方皆様ご無沙汰しておりまして申し訳ございません。何とか元気でやっております。
現在,東京で仕事をしていますが,海星で隣のクラスだった同級生N氏と職場が近いため,新橋あたりでよく一緒に呑んでいます。高校生の時には,同級生と新橋で呑むなんて想像もしませんでしたが,まいど,海星話に花を咲かせています。
海星で過ごした6年間は,思い出だけにとどまらず,貴重な経験として,大きな影響を受けています。例えば,今の仕事では海外に住んだり,出張したりすることもありますが,海外ではキリスト教を少しでも知っていることはとても大事だし,直接的ではないにしても,役立つ場面が多いのを実感します。僕自身はクリスチャンではありませんが,海星6年間で自然と身についた知識,学校の教育方針や雰囲気は,海外のキリスト教文化圏の文化や習慣,ビジネスにおける考え方などを理解する助けになっています。高校1年生の時に行った,米国オレゴン州・セーラムでのホームステイは,初めての海外との関わりで,オレゴンでの約3週間は今でも鮮明に覚えています。
また,全国どこの方と会っても,“三重・海星”という名を,高校野球を通じてほとんどの方が知っているのはとてもありがたいことです。初めての方でも話題がつながり,覚えていただくことができます。
さて,今週末もN氏とほか数人の仲間で新年会をやります。東京にいらっしゃる海星OBの皆様,新橋や新宿で気軽なOB会でもやりませんか? 是非,お声掛けください。
皆さんこんにちは。40期生の円谷です。どういうわけか、私のところに瀬古さんから執筆依頼がとどきリレーコラムを書くことになりました。学生以来人に見てもらうような文章は書いていないので、拙い文章になってしまうかもしれませんが御容赦下さい。
私は、母親が事務員として働いていたこともあり、“円谷”の名前は母親からご存知の方が多いのではないでしょうか。また、弟も従弟も海星にお世話になり、まさに“海星一家”で私よりも母の存在でちょっとした有名人でした。エピソードを幾つか思い出すと、
エピソードその1
私が先生に叱られて、罰に職員室の黒板の下でいつものように?正座させられていると、運悪く母親が通りすがり、その時は何事も無かったように去って行ったのですが、うちに帰ると父親も参加して大目玉を食らったことも数十回??
エピソードその2
どなたか運動会の行進の練習で叱られたと書いておられましたが、そういえば40期の特教生は、体操の隊形に広がる時はいつも“仮面ライダーのショッカー”のように奇声を発して広がっていたのを思い出します。もちろんあの体育の恐ろしい?先生にみなが叱られたのは言うまでもありません。
まだまだ思い出されますが、よく考えると何か恥ずかしい??思い出ばかりでこれぐらいにしておきます。
母親を亡くして、海星が話題に上がっても詳しい事も分からず、お世話になった先生方もお元気なのかどうかわからず寂しい限りでありますが、また何かのきっかけで海星にお邪魔して色々話を聞ければと思っております。そうそう、食堂のうどんとあんドーナツが無性に食べたくなる事がよくあるんです。こそっと食べれへんかな??
同じ会社の別保さんから依頼を頂き,このコラムを執筆する機会を頂いた平成4年卒業の瀬古と申します。
私は中学から6年間お世話になりましたが,振り返ると海星って他に無い学校だなあと改めて思います。
カトリック系男子校で中高6年間を通してクラスが変わらず,同じ担任の先生と仲間と6年間共に過ごすという濃い学生生活でした。
高校野球の応援・聖ヨゼフカラサンスの歌・使いにくい一体型の机と椅子・食堂・頭髪検査・男だらけのクリスマス会・ドメニオ先生の緑バット・スクワット・楽勝の湖…。
今となってはどれも楽しい思い出ばかりです。
ちょっと他には無い環境だと思いますが,そういう環境だからこそ得られた物が沢山あったと思います。
これからも海星らしく海星にしか出来ない教育の場であって欲しいです。
そういえば別保さん。海星のHPを初めて見たら食堂のメニュー載ってましたよ!
在学当時と変わらないメニューと料金で嬉しくなりました。今度一緒に食べに行きましょうか。
最後になりましたが当時6年間もの間、担任頂いた沢村先生を初めご指導頂いた諸先生方に改めて感謝すると共に,母校海星中学校・高等学校の益々の発展を祈願しております。