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特集2 「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」

特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 下村和之 教頭先生 

 同窓会の皆様、本年度より教頭となりました下村です。今年度は学園創立より60周年、またエスコラピオス学園海星高等学校創立50周年という、非常に大きな節目の年であります。その年度をこのような立場で迎える事に、私はその責任の大きさを痛感しております。学園は還暦を迎え、今後新しい周期へと入ってまいります。その新しい周期の海星がすばらしい躍進をとげる事となるよう努力しなけらばならないと思っております。 私もこの海星中学高等学校に勤めていつの間にか26年目となりました。その間、多くの生徒さんに出会い、卒業を見守る事ができました。男子校というものを自分の学生生活の中で知らなかった私にとって、この海星での生活は極めて新鮮なスタートを切る事ができた事を今も覚えています。学校に来てみるとまさに男ばかりの世界、その入学式を始めて見た時はある意味壮観でありました。大学では工学部という事で、それなりに男子の世界を過ごしてきていたのですが、黒い学生服に包まれた男子のみの体育館での姿の第一印象は忘れる事のできない形で残っております。それは新鮮さとともに、いい意味の緊張感を持って教職をスタートできる結果となりました。しかしながら、新米教師である自分の最初の数年は本当に生徒のみなさんに申し訳ない指導だったと今も反省しております。もちろんその後の指導が良いものだったかというと必ずしも言えませんが、ある時、生徒から教えられる事の多さに気がつき、片意地張った自分に反省することが出来た日から自分は変わる事が出来たと思っています。教師は指導者であるだけでは無いという当たり前の事に気がついたのですね。そのおかげで卒業式は常に生徒のみなさんへの感謝の気持ち一杯で迎える事が出来ています。誠に幸せな事であります。 私は今までの海星での生活を大きな財産として今後の教職に活かして行きたいと考えています。平常の授業やクラブの学校生活だけでなく、キャンプや修学旅行、アメリカやオーストラリアへの海外研修の引率、文化祭への準備活動など様々な場面での生徒の姿を見る事によって得たものは本当に大きな財産だと感じています。自分はそのような面から見ると、クラブの全国大会への引率もテニスだけでなく、スキーのような特別なものへの引率や、あるいはディベートの全国大会に引率させて頂くなど、本当に生徒のおかげで恵まれた経験をさせていただくことが出来ました。生徒によって自分の教師としての成長を助けていただいたことを実感しており、これをいかに生徒みなさんに返す事が出来るかが大切だと思っております。そしてそれが今後の海星の発展につなげる事が出来ればと考えております。 現在、社会では人間力という言葉が多く語られています。海星はミッションスクールとして常に人間教育を第一に考えて来たと思っています。その教育方針は昔も今も大切なものである事に変わりはないだけでなく、今こそ求められているものであります。そのような意味からも、海星中学高等学校の社会における役割はますます重要なものとなって行くに違いありません。その海星中学高等学校の教師は今後も生徒と共に成長し続けていきます。三重県の私学の雄としての自信を培いつつ今後も海星は存在していきます。 最後になりましたが、その海星にとりまして同窓会会員であります皆様の力がきっと大きな支えとなっていくと考えております。世界の多くの私立学校はOBの方々、地域の皆様の物心両面にわたる支えで成り立っております。今後、日本においても私立学校はそのような状況を迎えていくのではないかと私は感じております。そのような意味でも、この同窓会と学校のつながりは今後も重要なものであり続けると考えていますので今後ともよろしくお願いいたします。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 渡辺芳教 先生 
tanaka

 教師になって今年で36年になります。初めの頃はまさか三重県の人になるとは思いませんでした。振り返ってみるといろんな事(担任、生徒指導、クラブ顧問、進路指導など)が次々と思い出されます。数字を扱うのが好きで早くから進路に係わっていました。今のような進路の手引きは保護者からの依頼で始めてもう二十数年になると思います。その後、趣味がこうじて野球部の戦いぶりをデ−タなどから見ています。
 さて、今回は同窓会からの依頼"海星のいま、あした"なので、私が思っていること、感じていることを少しあげてみます。
ここ数年もの間、いやこれからも少子化は続いていきます。これは海星を含めて私学の存在が問われていると思います。この厳しい少子化の時代を乗り切るためには特定の人だけでなく、全職員がそれぞれの立場でいかにすべきかを真剣に考え実践すべきです。私は海星を第一志望として入学してくれた人達(特に推薦入学者のことを)を大切にし、その望みの実現をはかる事を第一とすべきです。海星に入学した人のほとんどが大学進学を希望しています。その希望をかなえるためには生徒だけでなく教師も今以上のガンバリが必要と思います。進路では新しい取り組み(学力到達度テスト、全員参加の模試など…)が始まっています。
 高校生活には勉強だけでなく部活も大切です。一生は一回だけ、高校時代も一回だけです。長い人生のうちで高校三年間はその人の人生を決めるのに大切な期間だと思います。途中からでも良い。ぜひクラブに入りましょう。
 次に、海星高校はミッションスク−ルなのだから、もっと、カトリック校の特徴を前面に出すべきです。キリスト教の精神「愛」は平たくいえば友人(隣人)思いやり、人を大切にする気持ちです。カトリックはおとなしいと思います。もっと積極的に行動(キリスト教の精神の実践)すべきです。私が初めて海星にきたとき一番ビックリしたのは、カトリック校なのにあまりにもその雰囲気が無かったことです。最近は少しは変わってきていますが…。まだまだ不十分です。
 入学した人達の希望(大学進学を中心に)の実現を100%にできるだけ近づけることと、海星にいる間にキリスト教の精神である人の対する思いやりを体感することでしょう。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 水野学 先生 
tanaka

 1978年に海星に来てから早25年が経過します。最初は他県の高校に就職しました。最初に就職した学校ということもあり、今でも大変懐かしく思っている学校です。5年後結婚を期に生まれ故郷の三重県に戻り、海星にお世話になることになりました。今回は海星赴任当時のことを思い出して感じたことを紹介したいと思います。
 海星に赴任が決まった時に、また甲子園だと思いました。実は前任校でも何度も甲子園に応援に行ったものだから、私はよほど甲子園には縁があるのだなあと感じました。
海星には、全職員がまったく平等で上下の階層もなく対等に意見が交わせるアカデミックな環境が整っているのにびっくりしました。これがカトリックの学校なんだ。前任校では家族的な雰囲気はありましたが、職場が会社組織のようにピラミッドになっていて、組織的にまとまって行動しました。海星では組織よりも個人が尊重され、各個人が自分の信じることを精一杯努力すればよい。さぼっていても誰も何も言わないが、常に個人の力量が試されている。その分責任も重大だ。やることさえやれば、16時に帰るのになんの躊躇もいらない。でも当時はまだ明るい間に帰宅できるのがとても変でした。
 海星の長髪(刈り上げだったが)にもびっくりしました。当時はまだどこの学校の生徒も丸坊主だったと記憶していますが、海星男子はとても清楚で「かっこいい」と思いました。私は小中高大と共学の中で育ちましたが、男子ばかりの学校もさっぱりしていてとても気楽だなと感じました。三重県下では唯一の男子校になってしまいましたが、私はこのままの方が今でもいいと感じています。
 入試の処理や実力試験にコンピュータが利用されていたのにもびっくりしました。しかもまだパソコンがない1970年代後半に!! 1980年代始めになってやっと現れるパソコンも次々とリベロ校長が導入してくれました。私はそれまで触れたことのなかったコンピュータに魅了されて、あっという間にはまり込んでしまいました。最初に触れたパソコンはメモリーが16Kバイトでした。あれから20数年が経ちずいぶんコンピュータも進化しました。その間ずっと私にコンピュータに従事できる機会を与え続けてくれた海星に感謝しています。
 人間は自由が与えられている時こそ、自分の本性が出るものですよね。私は本来怠け者なので、何かしないとこの自由なアカデミックな学校では、また優秀な先生方ばかりの職場では、自分が埋没してしまうと感じました。与えられた仕事とは別に、趣味を活かして、コンピュータの得意な仕事を見つけては、放課後や帰宅後夜遅くまでプログラミングやデータベース化に時間を費やしてきました。結果的には、いつのまにかコンピュータ化する仕事が自分の校務になっていました。好きでやっていることなのであまりストレスがたまることもなく、これまで楽しく仕事をしてこれました。ストレスのこといえば、私は16歳の時からずっと単車に乗っています。高校・大学も、前任校・海星も雨の日も真冬でも毎日単車で通学・通勤して来ました。なぜか単車に乗ると嫌なことも一瞬にして吹っ飛び、気持ちがすっきりするのですよね。今は湯の山付近の5分間ほどの林道走行の通勤が最高に素敵です。家に帰ると365日欠かすことのない適度な晩酌が待っています。これも大いにストレス解消になっているのでしょうか。
 最後に、何でもできるこの自由な雰囲気の職場に感謝します。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 田中實乘 校長先生 
tanaka

 今落ち着いて振り返ってみるに、あっという間の1年でした。これが今の私の偽らざる心境です。如何なる学園の事情とはいえ、お引き受けしたからには今日よりは明日、今年よりは来年と明るい海星の将来を念じつつ、精一杯の努力を提供して参ったつもりです。
 しかしながら、正直申しますと見えてきたのは本学園が抱える問題点と管理職という立場のあり方でした。人はその性故に他人の欠点や短所は探そうとしなくても見えてきますが、逆に長所は探そうとしてもなかなか見えてこないのが常です。残念ながら私の性もそれに違わず本学園が抱える重大な問題点を暴き出しました。
 私自身が担任をしていた頃、たびたび保護者の方々から「家の子をやる気にさせるにはどうしたらよいのでしょう、私の言うこと聞きませんのでお願いします」という無責任なお願いをされたことがたびたびあります。この様なとき、私は何時も「あなた自身が自らを高める目標を持ち、その実現に向けてやる気を起こせば、そのことを敏感に受け止めた子供は自然にやる気を出します」とよく忠告したものです。既に家庭を持ち子育てに携わってみえる方ならおわかり頂けるかと思いますが、正に「子は親の背中を見て育つ」のです。もちろん学校では「生徒は先生の背中を見て育つ」のです。更に言えば「教師は管理職の背中を見て育つ」(この様な教師では困るのですが)のです。もうおわかりですよね、先生方個々の優れた能力は認めざるを得ませんが、その割には対生徒に見せる背中が貧弱すぎるのです。これではいくら努力しても無駄骨です。頼りになる大きな背中、安心してついて行ける背中、思いやりに溢れる背中、優しさの滲み出る背中、謙虚さが伝わる背中、即ち、万人への愛情に溢れた背中が求められるのです。一人一人の先生方にこの様な背中が備わったとき必ず海星は変わるのです。このとき初めて建学の精神・教育方針を求めて新しいスタートが切れるのです。親が変われば子は変わり、先生が変われば生徒が変わり海星が変わるのです。「目指すはこの一点なり」です。
 最後になりましたが、希望に満ち溢れた海星のあしたを夢見つつ聖ヨゼフ・カラサンスの教育事業への熱烈な思いをご紹介することにより、保護者の方々並びに同窓会の方々を含め先生方一人一人への思いに代えたいと思います。……「教育事業とは最も尊敬すべきものであり、最も高尚なものであり、最も功徳をもたらす事業であり、最も有利な効果を生じる仕事であり、最も有益な仕事であり、最も必要な事業であり、最も自然な仕事であり、最も合理的なものである。従って、天からその使命を戴いている者にとって教育の事業は最も楽しいものであり、又この事業を後援し、助ける者は最も褒められるべきものである。」……エンリケ・リベロ著「聖ヨゼフ・カラサンスの生涯」より


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 浅野 先生 
asano

 同窓会の皆さん、はじめまして。浅野と申します。はやいもので、こちらの学園に赴任して、はや10年の月日が経とうとしています。今思うとあっという間の出来事であったような気がします。その間いろいろな生徒たちと出会いそして別れ、この春にはこの学園での2度目の卒業生たちが大学の学業を終え、社会に巣立つこととなります。
10年前、卒業生でもない私は、初め戸惑うばかりでした。「厳しい。この学校はなんてスパルタなんだ。」と、当時を振り返ると面食らうことばかりだった気がします。しかし「生徒のことを真剣に思うなら、叱ってやれ」という先輩の教えに接し、自分の甘さを痛感したのも確かです。
もともと私は、教育とは「待つ」ことだと考えておりました。そんな私が今こうありたいと思っているのは「地蔵尊」の姿です。これはいわゆる「お地蔵様」。お地蔵様というのは、旅行く善人に対してはとても優しく慈しむ眼差しで見つめ、いつまでも待って見守っている。しかし、悪人に対してはとても恐ろしい形相で懲らしめる。そんな態度で私は、生徒に日々接していきたいと思っています。これは最近の生徒指導の理念では、カウンセリングマインドとリーダーシップと言い換えることができるでしょうか。
ところで、国語教師としての私が、今とくに力をいれて授業に取り入れていこうと考えているのは、「読書という行為」です。なんとかして、これを私の授業とリンクしていけないものかと、いつも考えています。それはどうやって本(文章)を読むかという以前に、本を読もうと思い立たせることが、今の子供たちにはとても難しいように、私は感じているからです。確かにどうやって問題に正解を与えていくかということも、入試という現実がある以上、とても大切なことです。しかしそれを突き抜けて、子供たちが生きていくために必要な国語力とは何でしょうか。どんな分野に将来彼らが進んでいこうと、その分野で必要になる「型」というものがあるはずです。それを学びとっていくためには「見る」・「まねる」ということが欠かせないことでしょう。そんな時、誰にも教えてもらえないから、何をやったらいいのかわからないと言っていては困るのです。自ら学び取っていくために、何が自分に必要かを自分で判断し、自分で見つけ出していく必要があるのです。さらっとした文の集合体であるテキストから、何かを学び取っていこう。そんな習慣づけができれば、しめたものだと思っています。見つけ出したものに自分なりの意義を与え、自分の「型」としていく。これは現実社会というテキストでも同じでしょう。
まだまだお伝えしたいことはたくさんありますが、紙面の都合もありますので最後に一言だけ。私という存在はとても小さなものですが、この学園の、そして生徒達の心の一隅を照らしていければ幸いだと思っています。それでは。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 別府せい子 先生 
beppu

 大学を卒業して一年後、海星高校に来ました。それ以来二十数年、私にとっては常に居心地のいい場所でした。生徒達との出会い、授業やさまざまな学校行事、印象深いことは多々あります。中でも自分が英語科ということもあり、今年で18回目を迎えた海外研修に関しては特に思い出深いものがあります。いままでにアメリカとオーストラリアへ合わせて7回、生徒達と一緒に参加し、それぞれの土地でいろいろな経験を共有してきました。また、3年に一度行く修学旅行は、準備は大変ですが、楽しいことの一つです。
 私が好きなことは、街歩きです。国内でも海外でも新しい町を訪れるときには、地図と路線図を片手に、バスに乗ったり、電車に乗ったり、テクテク歩いたり、もちろん車で行ける範囲であれば車で走り回ったり、朝から晩まであちこち出歩いています。海外研修では、アメリカはセーラムやサンディエゴ近郊、オーストラリアではアルストンビルという小さな町に滞在しました。人々がどんな家に住み、どんな物を好んで食べ、どんな服を着、どんな日用品を使っているかを真近に見、どんなことを話題にし、興味を抱いているのかを街を歩いている間に実感し、そのうちにその町の人々の暮らしが少しずつ見えてきます。自分で出かける場合にもツアーには入らず、どこかの都市や町に何日かとどまり、必ず自分の足で街のあちこちを歩きます。
 今年度は中学校3年生の担任でもあるため、6月に北海道研修に出かけました。生徒たちにとっても印象深いものだったことと思いますが、私自身もかなり期待し、また満足のいくものでした。函館、小樽などの街を歩くことができたたからです。もちろん生徒が学習するための研修ですが、生徒のためといいながら自分でも楽しんでそれぞれの街の歴史や見どころを調べ、生徒と一緒に学年ニュースや資料作りなどすることができました。生徒以上に念入りに自由行動の計画を立てしっかり歩いてきました。
 海星に来たばかりの頃は生徒たちと友達のような関係でした。今では生徒たちとはずっと歳が離れてしまいましたが、「一緒に楽しみながら何かを経験したい」と言う気持ちはいつまでも持っていたいと思っています。もちろん、授業ではあいかわらず厳しく接するつもりですが。。。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 鷺坂敏之 先生 
washisaka

皆さんこんにちは。平成5年度より海星でお世話になっております、美術科の鷺坂敏之です。私が着任するまで美術の授業は全て講師の方がしてみえたと聞いておりますので、海星では初の美術専任教員となります。
 他県出身のため、三重県の学校事情は公立も私立もほとんど知らぬまま教員となり14年。その中の10年をこの海星で過ごしてきました。
 前任校はヤンチャな生徒が多い学校でしたので、海星に来た時「なんて真面目な生徒が多いのだろう。」というのが第一印象でした。スポーツにも学習にも前向きに取り組む生徒が多く、この中で教員として働けることに喜びを感じております。

 私の携わる美術教育は、音楽教育と共に「豊かな心を育てるための情操教育」として大切な位地におかれています。しかし残念ながら今の学校教育の中では、ごく一部の生徒以外は入試に関わりがない教科ということもあり、授業数が他教科に較べとても少ないのが現状です。それは海星でも同じことなのですが、生徒たちはその限られた時間内で精芋行っております。美術教員の役割は技術的指導はもちろんですが、生徒の持つ漠然としたイメージをいかに形として表現させていけるか、そのプロセスの中でいかに良きアドバイザーとして存在できるかが重要となります。当然マニュアルがあるわけではないので手探りの部分が多々あり、今だ勉強中といったところですが、自分の教員としての経験、そして物造りの研究をこれからも積んでいき、より上の指導が出来るように努力したいと思っております。

 美術部の活動は年々活発になってきています。
「美術好きな者が集まり、日々制作に打ち込む・・・」。文化部は地味なイメージがあるかもしれませんが、うちの美術部はなかなか存在感があると自負しております。当然男子部員しかおらず、また顧問の私が彫刻専門というのもあってか立体造形作品を手掛ける部員も多く、展覧会では他校と較べ個性的な作品が並ぶブースになっています。クラブの活動報告は海星のHPに載せてありますので、もしよろしければ観てください。

 今年も新たに巣立っていく生徒たちがいます。生徒たちからは「兄貴分」的な存在でいたいと思っていたら、いつの間にか「おじさん」的存在になってきました。いつの日か「親父」的存在になるのでしょうが、気持ちだけは歳を取らぬようにして生徒たちと関わっていきたいと思っています。RCの『僕の好きな先生』を地でいく美術教員を目指して。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 ホセ=ルイス=イルズン 先生 
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 神父と先生  ホセ=ルイス=イルズン

 30年以上前にスペインから来たイルズンです。
 小学生の時、ある日、先生はクラスの皆に作文を書くように命令しました。テーマは「将来何になりたいですか」でした。私は迷っていました。村の神父様は大変好きだった。優しくて、他人、特に貧しい人々のために尽くしていました。あの神父様のようになりたかった。けれども先生も好きだった。だからその2つについて書きました。
 12歳になって急に神父になりたいと思った時、父の弟に相談しました。彼はエスコラピオス修道会の神父でした。それでエスコラピオス修道会に入りました。
 教育は将来のためです。その役目は将来の社会に奉仕する人を作ることです。
 現在の子供たちが大人になって奉仕する社会はどんな社会でしょうか。いくつかの特徴や傾向を挙げることができると思います。
 1.環境について心配を感じること。
 2.自然を愛したり、大事にしたりすること。
 3.人権に敏感であること。
 4.平和を愛すること。
 5.世界はますます国際的なものになっているから、他の文化に心を開くこと。
 6.世界は大きな家族のようなものになっているから、兄弟のようにお互いに尊重しあい、お互いに愛し合うこと。
 これらの点は教育の大切な点だと思います。これらを教えなければならない。
 人間が一人一人良い人間にならなければ社会を良くすることはできないから、精神の徳である正直、誠実、奉仕の精神、情け、協力、勤勉などのようなことを教えるのは最も大切なことだと思います。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 川村 浩晏 先生 
Kawamura

 私が海星に赴任した年は、東京オリンピックの翌年で、日本が高度成長の幕開けを迎えようとしていた頃でした。カラーテレビがようやく普及し始め、一般家庭では車はまだまだ高嶺の花でした。今はどうでしょう! 大学生が車を乗り回し、小学生でさえも携帯電話を持たないと格好がつかない時代です。「金と物」中心で温かみのない味気ない世の中になってしまったように思います。それと共に教育現場も大きく変わってきています。
 私は今も柔道の授業を続けていますが、今から挙げることは、柔道や体育に限ったことではなく、今の若者の気質がよく現れていると思います。

[現在の授業の様子]
*正座の時、殆んどが両膝をくっつけて座る。(女子校ではアグラが多いらしい? 男女逆転時代?)
*柔道着の畳み方、帯びの締め方を覚えるのに1時間を要する。(生活習慣の変化。 日本人?)
*後ろ受身では頭を打ち続け、前受身では首が鞭打ちになりそうになる。(受身の練習で怪我をする?)
*毎時間、係りが携帯電話がどっさり入った袋を持ってくる。(袋の中で鳴ったり震えたり、みっともない!)
*ちょっと甘くすれば、10名前後の見学者が出る。(基本的生活習慣の欠如。授業を舐めている!)

[授業の中で感じること]
*正座の姿、挨拶:  (男性ホルモンの欠如、女性主導の時代? 男としてのプライドが全然無い。)
*ストレッチ・トレーニング・受身: (気力・体力の低下、なぜ必要かを考えない「やらされ人間」の増加。)
*投げ技・固め技: (イメージが湧いてこない。理論の理解力と研究心の欠如。応用が利かない。)
*固め技の試合を通して: (簡単に諦め、粘りが無い。チャンスを生かせない。勝ちへの拘りが薄い。)

 毎時間、授業以前の問題にかなり時間を割かなければならないのが現状です。時として、気力が萎えそうになることがありますが、ここで妥協をすれば海星らしさを放棄することになる… と思いながら、意固地になって昔ながらの授業を続けています。数年後には彼らも社会人となり、何れは一家の大黒柱としてやってゆかなければならないのですが心配でなりません。
 この現状は彼らに責任はないんです。周りの大人たちが悪いのでしょう。最近、町起こしの一つに「昭和60年代への回帰」が話題になっていますが、当時の社会(家庭)はどうだったのでしょうか! 多分、家庭内では「オヤジの権威」が保たれ、「学校や地域の教育力」がまだまだ残っていたのじゃないかと思います。ただ、当時は社会全体が希望に満ち、活気がありました。今はどこを向いても閉塞感に覆われた大変な時代を迎えていますが、苦しい時にこそ「家庭の躾や学校教育」が大切ではないかと思います。これからの日本を背負っていくのは子供達です。我々大人には子供達を守ってゆく義務があります。まず、大人が子供達としっかり向き合えるような立派な生き様を見せることが先決でしょう。
 私自身、教師生活も後僅になってしまいましたが、最後まで諦めず彼らと接していくつもりです。
 これから家庭を持つOB諸君、子育て真っ最中の諸君、まだまだ遅くはない! 立派な生き様を女房や子供に見せよう。そして子供達をしっかり守ってやってください。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 増井 宣之 先生 
masui

 教師になろうと決意したのは、中学3年の時でした。たまたま校内合唱コンクールの指揮者に選ばれたのが、今の人生のスタートでした。その時は、わけ分からないままやりましたが、当時の級友にも恵まれ、合唱コンクール当日の演奏は最高のものでした。この音楽を通じた感動をもっと多くの人に伝えたく、私の音楽教師への道はスタートしました。
 私は、小学3年の頃よりサッカー少年団に入団し、厳しい練習のもと、中学3年までサッカーと共に子供の頃を過ごしました。当時は運動神経もそこそこあったほうだとは思いますが、その生活から一変して、音楽の世界へと入っていきました。
 体育系の生活をしていた私にとって、音楽の世界は全く違うもので、最初は戸惑いがあり、複雑でした。しかし、いつのまにか音楽に没頭し、ありとあらゆる音楽にハングリーで、何もかもが新鮮でした。高校からはじめた吹奏楽にも夢中になり、楽しくて仕方ありませんでした。高校生活は吹奏楽部の仲間にも恵まれ、とても充実できた3年間でした。
 しかし、音楽教師になるためには、音楽教諭の免許がいるために、私は教育学部音楽科へ進学しました。しかし、大学では戸惑いの連続で、まずクラスが女性だらけで男性がいませんでした。そして、まわりは音楽だらけで、なんだか音楽大学なのか教育学部なのか分からなくなってくるような環境でした。そして、大学時代にもいろいろ心境の変化もあり、一時ミュージシャンになりたい、なんて考えたりもしました。しかし、最初の目標である音楽教師に結局落ち着くこととなりました。
 新卒の頃に勤めた学校で、先輩の先生に音楽の授業のノウハウを教えていただき、今でも十分に生かされています。海星の前に違う学校に勤めていなければ、今の授業はできなかったとつくづく思い、先輩の先生には大変感謝しています。
 海星、という学校の知識は正直ほとんどありませんでした。ましてや自分が勤めるなどは頭の隅にもまったくなかったことです。さらに、私は高校の教師になることなどは、まったく考えていませんでした。しかし、縁があってこの学校に勤めることとなり、気がつけば9年の年月が経っていました。はじめは、どうしても他校出身の私にとっては、海星は他人の学校という意識があり複雑な気持ちで、とにかくがむしゃらに日々を送っていました。ところが、今となっては自分の拠り所として、自分の居場所として海星の存在は大きく、この学校で教鞭を執れたことに感謝しております。何よりも、海星に勤めたことで、いろんな人と出会えたことが幸せを感じるところです。まだ先が長いことではありますが、今後もいろんな人との出会いを大切にしながら、教育を通じてよりよい人作りができるよう、全力で立ち向かっていきたいと思います。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 下村 そのみ 先生 
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 同窓会の皆様、こんにちは。海星中・高校の保健室で養護教諭をしています。下村そのみといいます。海星にお世話になって4年目です。
 海星には、保健室が誕生してまだ十数年しかたっていません。前任の青サダカ先生から引き継いで2代目であります。
 「保健室」というと、どんなイメージでしょうか? 体調不良の子が来るところ? ケガをした子が来るところ? さぼりたい子が来るところ? どれも正解であります。
  保健室は、学校の中で唯一「成績・評価」と関係がない空間です。それだからこそ、生徒たちは本音で話し、本心をこぼしていくのです。成績のこと、クラブのこと、彼女のこと、家族のこと…彼らにとっては、どれも大切で、本気で悩んでいます。いっぱい悩んで、大きくなっていきます。
 私がへこんでいると、 「先生、どうしたん? 元気ないやんか?」 「先生、なんかあったんか?」  自分のことよりも、こっちの心配をしてくれたりして……生徒からいっぱい元気をもらっています。調子の悪い友人を保健室まで連れてきてくれたり、休養中の友人をお見舞いにきてくれる子もいます。高校生が、ケガをした中学生をおぶってきてくれたこともあります。あたりまえの事のようですが、他人に無関心な風潮の中で、人の立場に立って行動がとれる一人一人であって欲しいといつも思います。
 卒業生たちが、たまに見せてくれる笑顔も元気の元です。
 気分が悪くても、ケガをしても、ボタンが取れても、ズボンが破れても……困った時に笑顔で、気軽に、入室しやすい保健室でありたいと思っています。しかし、授業開始のチャイムが鳴ったら、こわーい先生に変身して、追い出すゾー!!(えっ? 変身する必要ないって…??)


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 小津 清貴 先生 
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  ホームページを開いてくれた諸兄は、師走多忙の中、元気に活躍されていることと思いを馳せ乍ら、請われるままに近況を綴りました。
 校舎と管理棟の間に植えられている七、八本の南京櫨の樹が真赤になると海星の秋を知り、白い櫨の実に小鳥が鋭い鳴き声で啄ばみに来ると冬の訪れを知ります。ところが今年は毎年の様変りとは少しばかり異を呈していました。二週間程時計が狂ったように、例年の世相の動きとは先に、何かを追うように世話しく変化してしまったのです。十二月の十日頃に芝草の上に赤い絨毯を敷くと、海星にクリスマスの到来を告げるのが例年の暦だったからです。木々の姿を不可思議なものと眺めていてふと吾に返ったら実は、私ももう三十八年程海星に勤めていたことに気付きました。毎日毎日を追いかけられるように繰り返してきて、自分の歩いてきた道程がどれ程に長いものであったのか分っていなかったのです。本当は余り知りたくないと言った方が正しいのかも知れません。送り出した多くの先輩諸君の時もそうであったのですが、若い躍動するエネルギーの真只中にあると、何時も自分もその内の一人であると勝手に解釈し振舞っているからなのだと思います。このような「偉大なる錯覚」も、紅葉のごとく過去の思い出が散り鏤められていてなかなか乙なものです。そして周りの変る様に心留めた時は、もう定年が目の前にやって来ていたというような心境にいるのが今の私なのです。
 御年輩の方は御存知だと思いますが、海星の校庭は実に緑多い場でもあるのです。一昔前は大きな桑の木もあって、夏場には真っ赤な実を結んでいましたし、秋には椎の実も大粒の甘い実を私達に呉れました。カラサンス館の建造で木の場所は移動しましたが、桜にしろ、紅葉にしろ懐かしく思い出される方も多いことと思います。通い慣れた海星学園の学校生活の中で、格別注意を払っていなくても、見慣れた校庭の木々は意外に印象に残っていることでしょう。どうか何かの機会で海星に関わりあることに触れられましたら、若い木々を想い返してください。今は随分大きく成長していますし、皆様の来校を待っていることと思います。国道を走って追分の一の鳥居を見ると、そこはもう海星の庭同然です。懐かしい神父様の話しに耳を傾けると、まるでタイムマシンで過去に遡ったような気持になれます。学生服であったあの高校生の時を思い返すべく、是非立ち寄って頂きたく思います。もし校内で頭髪に白いラメを入れた青年を見つけたら声を掛けてください。「オヅの魔法使い」が歩いているかも知れません。「ハリー・ポッター」の世界のように!


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 烏田 信二 先生 
karasuda

 同窓会の皆様、こんにちは。私は、卒業生ではなく、三重県の出身でもないのですが、ご縁があって海星に勤め、6年目になります。この地にもようやく慣れ、「住めば都」と思えるようになりました。
私にとっての海星の印象は、「ゆったりとしていて、寛容」「勉強・スポーツ何でもあり」というところです。すばらしい伝統だと思います。「ゆとり」があるということは、競争社会の荒波から生徒たちを守り、ありのままの自分を見つめることになると思います。「何でもあり」ということは、それぞれの生徒が自分の「良さ」を見つけ、活躍できる場があるということだと思います。
卒業生の皆様が培って下さったこの宝を大切にしながら、一人一人の生徒に接していきたいと思っています。現在、在学中の生徒たちも皆様と同様、「海星に来て、良かった。」と言ってくれるよう努力して参ります。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 平井 弘 先生 
Hirai

 私と海星の関わりは、故エンリケ・リベロ神父様が私の妻の英会話を指導してくださったことから始まります。
 当時、私は県内の大手学習塾に勤めておりましたが、同じ職場の妻から海星の話、特にリベロ神父様のことを聞き、是非とも会って話がしたいと考えるようになりました。直接会ってお話を伺う機会はほとんどありませんでしたが、翌年から海星で理科教諭として教鞭を執らせていただくことになりました。
 リベロ神父様と共に海星で活動できたのは講師としての2年間でしたが、その存在感は極めて大きく、豊かな人間性にはただただ感心するばかりで、私などはリベロ神父様の足元にも及ばない小さな人間であることを自覚する他はありませんでした。

 そのリベロ神父様はすでに神様のもとに召され、以来、海星は大きな核をなくしてしまったように感じます。今こそ全職員が一丸となって、亡き神父様の代役を務めなければならないと考えています。
 これからも私は許される限り海星へやってまいります。それは、海星の持つ、他校にない魅力を強く感じるからであり、リベロ神父様の御霊が私たちを守り、そして、導いてくださると信じているからです。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 加藤 和彦 先生 
Katou

同窓会の皆様、初めまして。昨年度より海星でお世話になっております。今年の四月から担任を持たせて頂いていますが、生徒との信頼関係を築き、それを大切にしていくことを日々の努力にしています。

 思春期の生徒たちは様々な悩みがあり、信頼できる誰かに頼りたい時があるはずです。
私たち大人も、仕事や人間関係がうまくいかなくて気持ちが落ち込み、誰かにその話をして理解してもらいたい時がたくさんあるわけですから。先生は、彼らに「この人を慕っていれば大丈夫だ」という信頼感を持ってもらえる人間になる必要があります。

 信頼される人間になるには、先生自身の努力と勉強が必要になるわけですが、その中でも、先生自身の価値観をしっかり持つことが大切であると考えています。これは個を尊重する現在の教育の流れに逆らうような考えかも知れません。三十人の生徒がいれば、三十個の価値観が存在するわけですから、先生の価値観を彼らに押しつけるべきでないという見方は、確かに正しいかも知れません。
しかしながら、人が誰かを教える時に自分自身の価値観を持っていなければ、満足に教えることは出来ません。一つの価値観を示すことで、彼らは一つの基準を見つけます。その通りだと共感できる者もいれば、そうでないと感じる者もいることでしょう。
先生は自分の価値観、言い換えれば、生き方を彼らに示しており、ここで初めて、彼らの新しい価値観が生まれるのです。

 教科指導においても同様のことが言えるのかもしれません。私は英語の四技能を高めたいという思いの中、勉強を続けています。その時間の長さが違うだけで、生徒も同様の思いを持っているはずです。
勉強のスタイルも様々ですが、時間の長さの差だけ、彼らの知らない経験があります。そういった経験を通して、こういうところで苦労したよ、ここではこんな失敗をしたよ、ここはこういう風に切り抜けたよ、といった道筋を示すことが出来るはずです。その為にも、専門教科の知識を高めることを止めてはいけないと感じています。

ここまで、手短ではありますが、自分の考えるところを書かせてもらいました。信頼される人間になること。明確な価値観を持ち、それを示すこと。そして、専門教科の知識を高めること。もちろん、これらは一朝一夕で出来ることではありません。自分自身を高める日々の努力を惜しむことなく、これからも頑張っていきたいと思います。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 大庭 明 先生 
ooniwa

個の尊重

今、学校教育がどうあるべきかという議論がいろいろなところでなされております。週休2日制の問題が議論を呼び、それに伴って教育というものが新たに見直されてきています。時代が変わっても、教育というものの本来のあり方は、どのような生徒であっても、1人1人の生徒が大切にされ、1人1人が持っている能力を教師が引き出していくことであると思います。人によって能力が異なっていますが、その異なりを、指導する者が見極め、1人1人に合った対応をしていくことであると思うのです。
  海星高校も、これからも今までにも増して1人1人が大切にされ、1人1人の能力が引き出され発揮させられていく学校として認められていって欲しいと思います。又、世界的視野を持った生徒が多く輩出され、与えられた責任を果たし、世界を舞台に活躍して欲しいと思います。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 伊藤 仁 先生 
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楽しい仕事

毎日働き続けることはなかなか大変なことであります。
時には体調がすぐれないこともありますが、朝教室に入って生徒の笑顔に接すると自分の元気を回復できるから不思議です。同じ学校に長年勤めていて間違いなく年齢を加算しているにもかかわらず、三年周期でより若い生徒諸君のエネルギーを貰い受けることができるわけですから教師の仕事はハッピーなのでしょう。
 いまから思うと新米教師時代の授業やHR運営にはただただ恥ずかしいことが多いのです。やはり人間相手の職場で長年経験を積むことは貴重なのだということがわかってきます。しかし新米教師時代の“熱い思い”は若い生徒には必要なことなのでしょう。お隣に新しく着任された若い先生の周りに集まった生徒の生き生きした表情を見るにつけ「いいなー」と羨ましくなります。

 学校とは集団教育の場です。一人の生徒に一人の教師がついているのではありません。人間ですから必然的に“好きな教師”“嫌いな教師”や“いい生徒”“いやな生徒”という気分が生まれます。でもさまざまな年齢層の教師集団といろいろな人間的感情の入り乱れる中でこそ集団教育の良さが発揮できるのでしょう。今年も海星の学び舎からたくましく成長して巣立っていく男の子を見送ることができそうです。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 倉田 純夫 先生 
Kurata

御無沙汰しています。卒業生の皆さん、如何お過ごしでしょうか?
 早いもので私が海星に奉職して35年が過ぎようとしています。少々“ボケ”も始まり(日本史の授業中、年号・人物・事件名が突然消えてしまって出てこないなど)体力の衰えも感じています。でも定年まであと僅かだからということで、最後の知力(?)、体力を振り絞って頑張っています。

 この様な情況のもと、今年の6月頃、突然卒業生(昭和57年3月卒業)から電話がありました。
「先生、如何お過ごしですか。もうじき定年でしょう。その前に久しぶりに同窓会を開いて労をねぎらいましょう」という内容。電話の主は卒業以来約20年間会っていない生徒で、その声を聞いて懐かしさが込み上げてきました。同窓会は8月13日に津で5時から開くということで、その日を待ち兼ねる思いで当日参加しました。参加者は23名中11人で皆んな38歳の中年の「おっさん」になっていたけど、殆ど当時の面影を残しておりました。激変(体型的に)したのは結局、もと担任の私だけでした。お盆の頃であり、家族サービスで忙しい中、時間を割いて参加してくれて、話は大変盛り上がりました(職業もいろいろで、銀行マン・大企業の技術者・獣医・会社経営・老舗料亭の旦那〈この日の会場提供者〉・営業マンなどで、内容は多岐にわたり、さらに海星高校現在のクラブの活躍、これからの海星の在り方についてetc.)。そんな話題の中で子供達に話も出ました。そこで私は海星の一職員として、男の子は必ず海星中高へ進学させる様、しっかり要請しておきました。

 話は最後になります。“担任を酒の肴に”話題が弾む様に2時間程で退席しようと思ってましたが、
結局4時間も居座ってしまい、皆んなと一緒に津駅に送ってもらうことになってしまいました。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 川村 厚志 先生 
Kawamura

躾教育の大切さ

同窓会の皆様初めまして、私は昭和63年度より海星でお世話になっております川村です。早いもので15年が経とうとしています。係の先生より上記の題材で何か書いて欲しいという事なので、私の考えを想うままに書かせていただきます。

 私の場合、「21世紀の海星を想う」というよりも「21世紀の日本を想う」とした方がいいのかもしれません。長く海星にお世話になり、私なりに1つ大きな事を学ぶことが出来ました。それは、家庭(今では学校が中心となっていますが)での「躾教育」の大切さです。
 人は誰しも親からの遺伝によって、色んなものを身に付けて生まれてきます。たとえば、「性格」「体格」「運動神経」等でしょうか。しかし、「躾」だけは生まれながらにして持ってくる事は出来ません。国こそ違え、誰もがその事を分かっているのか、「マナー」という言葉となって、どこの国・地域でも大切な教えとしてあるはずです。

 最近流行りの「ゆとり教育」「生徒の自主性尊重」というのが、よく教育の場で言われておりますが、これも「躾教育」が土台にあってこその賜物だと私は思っています。躾のない「ゆとり」と「自主性」は一歩間違うと「刃物」になってしまうこともあります。
それでは、その「躾」を教育の現場(本当は家庭だが)でどのように実践していけばよいのでしょうか。主に教科書を教える現場で、家庭に代わって「躾」だけをやる事は大変難しいことです。しかし、我々教員が、授業以外の休息時間・ホームルーム・部活動等を通して、生徒の「躾教育」に厳しくあたる事ができれば幸いだと思っています。

 では「躾」の中心とは何でしょうか? 甘やかされて育てられたこんな私に、そう簡単に答えが見つかるとは思いません。でも、私の好きな戒めの言葉にこんなものがあります。「ならぬ事はならぬものである」(会津藩童子訓)。すなわち、「駄目なことは誰がなんと言っても駄目なんです」。そう、人によって感性・主観は違うけれど、誰が考えても間違っていることは生徒にさせてはなりません。簡単だけれど、こんな事が「躾」として、まず一番大切なことではないでしょうか。こんな風に少しでも生徒の考え・行動の間違いを正してゆければ、これからの21世紀、「いい物」が見えてくるはずです。

 これが私の「21世紀の海星」「21世紀の日本」に対して想うことであります。
 以上


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 坂倉 勝巳 先生 
Sakakura

同窓会の皆様はじめまして。平成元年より海星でお世話になっています英語科の坂倉勝巳と申します。現在、進学特別コースの一年生の担任をし、水泳同好会の顧問をしています。
 早いもので海星高校にお世話になって今年で14年になります。初めて海星高校で教鞭をとった時、正直言いまして少し違和感を覚えました。教師が厳しく生徒を指導している姿を見て、自分が経験してきた学校とは、大きく異なっていたため、自分がこの学校で教員として責務を果たしていけるかどうか不安でした。しかし月日が経過し、さまざまな生徒との担任経験を通して、生徒を厳しく指導する躾教育の大切さを認識するに到りました。
 現在、社会では、ゆとり教育とか生徒の自主性を重視する教育が盛んになっており、生徒を躾たり、指導したりすることが少し忘れられているように思います。21世紀の海星の教育には昔の海星のような厳しい躾教育が必要だと思います。教育の基礎となる躾教育を実践し、その後、生徒の個性を伸ばす環境を整えてやることが大切だと思っています。一年生の最初のホームルームで、今年一年間は「海星モード」に早く切り替えることが大切で「強制」の一年だと思いなさいと生徒達に言いました。「強制なくして個性なし」と思って日々教育にあたっています。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 田中 やよひ 先生 
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私の選んだ仕事は「先生」

一番前の生徒が笑顔で話しかけた。
「信じられない。それは無いでしょう。」
これはホームルームの一場面である。総合学習で将来の職業について小論文を書く練習の前に、まず担任の私がどうして教師になったのと話を始め、第一志望校に失敗しなければ今頃は案外「お母さん」と呼ばれていた………との最中に生徒が一声入れたのだ。そしてクラスの生徒達は声をそろえて、よっぽど3年B組やよひ組長の存在が強烈すぎるのか、別の姿は考えられないと応えた。これには複雑な感情と一瞬の喜びも感じた。学校という舞台で、教師と生徒は主役でもあり、脇役でもある。思えば長い間「先生」という役を演じ続け、台詞は台本なしで、さらにアドリブありでできる程になった。でも時々私の前に個性豊かな十代のルーキーが登場して悩むこともある。

 私は教室の小黒板に次のような次のようなことを書いている。「守って下さい決められたことは。協力して下さいみんなの為に。努力して下さい自分の為に。」と。これは教室が替わる度に必ず書き続けている私の基本の気持ちである。生徒達は無視しなければいつも目にすることになる。「基本があれば1を100にすることだってできる。」と言ったのは2002年ワールドカップ日本代表中田英寿の言葉であるが、確かにそう信じたい。大事なことは人間としてやるべき基本的精神は不変であり、考える正義も同様であると思う。
 海星高校は伝統を重んじるカトリック軽暖思考であり、進学校である。だからといって大学合格率の数字だけを追いかける現実には使命は感じるが、心の中で摩擦が生じる時もある。しかし来年の卒業式には私の生徒達が合格者としての新しい出発を心から願っている。

 朝7時に学校に着いてから、部活も終わり学校を出るのはやはり夕方の7時前になってしまう。1日の半分を私は学校にいる。いつの間にか教師という仕事が「人生」になってしまったと感じる。自分の部屋の窓・カーテンを開けるように教室で同じことをやり、放課後は大黒板に毎日違う内容を板書する。この言葉のいろいろを楽しみにしている生徒もいる。だから大きい字で元気一杯その日に合わせてメッセージを伝えるようにしている。古いタイプの教師であるかもしれないが、どんな場合も大切なことは一生懸命で話し、接することと考えている。
 この夏休みに四人で食事をする予定が入った。二人は私が顧問をしているバドミントン部のふたつ違いの先輩と後輩であり、もう一人とは同級生でその時の担任は私であった。そして今年大学1年生となった後輩にとって、先輩の一人は大学・学部・学科が同じである。彼らは二十歳前後の若者達であるが、二十数年前に投げたボールをしっかりキャッチしてくれた教え子達がそれをさらに大きく違った形で返球してくれることを信じ、楽しみにしている。

 私の仕事は「先生」。学校という舞台で多くの可能性を秘めた少年達を主役に育てる役目をこれからも限られた時間の中で精一杯続けていきたい。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 坂本 孝 先生 
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平和を想う

世界が戦争の渦に巻き込まれた激動の20世紀が終わり、新たな平和が期待される21世紀が始まった途端、9月に世界中を震撼させる例のテロ事件が起こった。信じられない光景に、この時ほど平和への切なる願いを感じたことはなかった。その2001年度、3月に海星高等学校第50回目の卒業生を送り出し、それぞれが自分で選択した新たな人生を進むことになった。この21世紀の初めの大事件の記憶は決して忘れることはないと思うが、卒業した彼等のうちの幾人かは、今後の平和のために尽力し貢献する人々の中に含まれるような人生を歩まれることを心から期待している。
『アシジのフランシスコの祈り』の中にも、こう記されている。「あなたの平和のためにわたしを役立たせて下さい」と。  忌まわしい多くの過去は、輝かしい多くの未来によって変えられるのではないか、と考えることもできる。その未来のために海星出身の多くの人々が貢献できる社会であれば、こんなに喜ばしいことはないと思われる。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 北村 晧倫 先生 
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動き始めた「海星」

海星にお世話になり、はや三十年。今振り返ってみますと、先輩の先生方を目標に「死に物狂い」「必死」という言葉がぴったりの毎日でした。教師である限り教科担任業務は当然のこと、同時に伝統ある野球部の部長、三重県高野連理事、学年主任、生徒指導部長と様々な分野の業務をこなし、現在に至りました。これも偏に学園関係者の皆様方のご支援、ご協力のお陰と心より感謝いたしております。
 さて、十数年前までの本校は、先輩諸氏が築き上げて下さったカトリック学校としての校風、人間教育・躾教育等が高く評価され、本校受験者も多く「順風満帆」といったところでした。試合・会議等では絶えず羨ましがられ、まったく他校の追随を許さないといった状況でした。しかし、出生率の低下による高校生の減少に直面し、本校の体質も大きく変化しました。過去の実績はあるものの、ここ数年は世の流れには目も触れず、ただ「過去」を踏襲してきただけのように思われます。この間、他の私学は生き残りを賭け、「一企業」として必死の努力を続けていました。生徒減少への対策として男女共学・冷暖房完備の教室・スクールバス運行等、現代高校生気質を逸早く見抜き、すばやく実行に移したのです。さらに学習塾と繋がりを持ち、優秀な生徒を入学させる等、手段の一つとして結果に結びつけております。
 本校は現在でも校内・外に於ける学習活動では決して他校に引けを取るようなことはありません。生徒達も与えられた環境の中で精一杯の努力をしておりますが、ふと漏らす学習環境に対する不満の声を聞くと、やはり寂しい思いがいたします。

 しかしそれは別として、全くと言っていいほど動きのなかった本校も、最近やっと動き始めました。学校長自ら早朝の校門に立ち、登校する生徒を指導する。さらに早朝の課外授業を行う等、頭の下がる思いがいたします。当然のことながら職員室の雰囲気も変わり、若い先生方も生き生きとして充実した教育活動を行っているように見受けられます。生徒達も雰囲気の変化に敏感に反応し、勉学にクラブ活動にと緊張感のある生活を続けております。また生徒会活動も指導力のある生徒が中心になり、理想的な学園をめざして活動しております。
ここ数年の間、負けず嫌いな自分は「海星の将来」を考え、いらだちを覚え、悶々とした日々を送ってきましたがようやく少しずつではありますが、確実に前進し始めました。私自身描いていた「海星」が現実に近づきつつあります。本学園の改革にとって今が最も大事な時であり、全職員のさらなる意識の高揚と実行力が不可欠な要素となります。二十一世紀に向けて動き始めた「海星」。微力ではありますが、職員の一人として自分なりに全力投球し、納得できる人生としたいと思っております。どうか卒業生の皆様もいつまでも「海星」を温かく見守って下さいますようお願いいたします。


特集2「教育の現場職員室から〜海星のいま・あした〜」 西原 光郎 先生 
nisihara

先日、高体連に登録するために部員の名簿を作成していて、ふと手が止まってしまった。
 今年の新入部員は昭和61年か62年の生まれなのである。非常勤の時代を含めると今年で18年目になるから、この子達は私が海星に初めてやって来た時には、まだ生まれてもいなかったということになる。横浜の荒れた中学校から代わって来て、海星の生徒のおとなしさに戸惑っていた頃をちょっと思い出した。

 今日、その子達が練習が終わった後、道場で何やら大変盛り上がっている。何だとのぞいて見ると、引退したばかりの3年生に坊主頭にしてもらっているのだ。それも自分達から言い出したらしい。どうやら昨日のインターハイ予選が尾を引いているようだ。
 3年生にとって最後で最も重要となるこの大会の、初戦の相手が前年度優勝校である事がわかったのが約3週間前のことだ。送られてきた要項を一目見るなり思わずタメ息が出た。
 一生懸命練習してきた子達に、今知らせると、ヤル気を失ってしまうか、あきらめの気持ちが出てしまうだろう。かといって当時になっていきなり知らされたら…。彼らの顔が目に浮かぶようだ。考えた末に、10日前になったら知らせることにした。その10日間で、ヒサクを授ける(大した秘策もないのだが)。
 10日で技術が急に向上するワケもないが、とりあえず企業秘密ということで。当日の模様を詳しく書くには紙面が足らない。とにかく彼らは前年度優勝校を相手に、5人が5人共、すばらしい試合をしたのだ。恐れず、迷わず、ひたむきに戦っているその姿には、結果など問題ではないと思わせるに充分な力があった。選手も応援の者も一体となって戦っていた。
 奇しくも世紀の変わる2000年に入学してきた3年生。彼らは今、後輩の頭を刈りながら最高の形で、最後の役目であるバトンタッチをしているのだと思った。